『人に好かれる法』第88条
 「隅から隅まで」
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第88条 隅から隅まで

 隅から隅まで神経が行き届いた仕事、客のサービスを快く思わぬ人はない。
誰でも完全が好きだからである。落ち度がない、ぬかりがない百点満点というでき上がりは無上の満足感を与えるものである。そういう仕事振りの人を好かない人はない。だがこの気質この特徴が仕事から離れて、人事や交際や感情問題に向けられる
と必ず不和、論争、憎しみをかもし出す。なぜなら仕事と違って、人間の感情は割り切れぬごたごたしたものだからである。
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 カール・ヒルティは、『幸福論』の冒頭に「仕事の上手な仕方は、あらゆる技術のなかでももっとも大切な技術である」とし、一度正しく会得すれば、その他の一切の智的活動がきわめて容易になるというのです。肝心なのは、人の心に働きのよろこびを呼びさますことで、その活動のさなかにのみ本当の休息があるのです。
 ヒルティが訓えるように「我を忘れて自分の仕事に完全に没頭できる働きびと(アルバイター)は、最も幸福である」としたら、どんな地位、境遇においても幸福になれるわけです。ときには最もせまい活動範囲において自己の小天地を築きあげている、いろんな『変わり者』―たとえばいわゆるオタクでさえ、限りなく幸せなのです。あるいは、
▼自分一人山に籠って読書する人
▼晴耕雨読の独善の日々を送る人
▼自分の田畑を一人耕しているような人
▼誰が見ていようといまいと、一人絵書き に没頭している人
▼何が楽しいのか公園で一心不乱の遊ぶ子 供
など、枚挙に暇はありません。

実は昨日、ジョギングの途中、ふと立ち寄った小さな公園で、兄弟と思われる4-5歳の女児男児が二人で砂遊びをしていました。何かを作っているようですが、何かは判らなかったので「僕は何作っているの?」と訊くと「家を作っている」とのこと。とてもそうは見えないのですが、二人で砂を掘ったり盛ったり・・・これこそヒルティの言う『変わり者』だ!
しかし、私はそんな無我夢中からすべてが生まれ出ずるものではないかと確信したのです。私たちは小さい頃、この無我夢中だったことを忘れています。
「無我夢中」「一心不乱」「精神一到」「心頭滅却」など、成長するにつれて、
このような境地をどこかに置き忘れているのではないでしょうか?こんな状態
こそ、煩わされるモノやコトがないだけ幸せ度合いが増すことでしょう。

一方では、多くの人との摩擦や協力の中で、何かを成し遂げる方が幸せとも言
えます。より総合的なモノやコトを究極にまで完成し仕上げる方が、より大きなまた豊かな達成感を味わえるに違いありません。しかし、個々には、やはり『変わり者』が原点ではないでしょうか? 近年、子供に集中力がない現象が多く見られます。何にでも飽きっぽく集中することが苦手なのです。そこで、人間には、小さい時に次のような躾・訓練が必要です。

▽毎日机に就く癖・習慣
▽長く没頭できる集中力
▽持続する根気
▽あるモノを創造する達成力
▽あるコトを最後までやり切る粘り

こう考えると、どんな仕事においても「隅から隅まで」やれる人は幸福なのです。
隅から隅までやらなくては気が済まない人は、仕事のできる人です。仕事のできる人に大雑把な人はいるでしょうか?

将棋米長邦雄名人が「子供の教育で一番大切なのは『集中力』をつけてやることにつきる」(人間における勝負の研究)と断言されています。元来子供というものは、ほとんど「集中力」がない。そこでこの「集中力」を付けさせることが、子供への一番いいプレゼントと言うのです。

大雑把な人は、決してプロフェッショナルにはなり得ません。例えば、ピアニストやバイオリニストなどの音楽家はあれだけのオタマジャクシを寸分違わずに奏でるのです。その指の動きを考えただけでも、想像を絶する程小まめです。
画家でも書道家でも線一本に命を賭けているのです。スポーツの世界も同じく、実に細かな点まで徹底的に練習を重ねて、その真髄を会得してそれを試合で発揮するのです。その精魂込めた努力はまさに隅から隅までの極致と言えます。
今、大リーガーとして大活躍中の松井秀喜やイチローも3-4歳から膨大な時間とエネルギーを傾注しています。その没頭時間の持続たる途方もない量です。
これは何から生み出されるかというと、「好き」と「情熱」と「大義(目標)」
でしょう。これが高い位で揃わなければ、持続しません。

また、板前さんでも、大工さんでも、それぞれに優れたプロは、どんなに細かなところまでも、徹底的に気配りしているものです。
「三つ子の魂百まで」は言い古された諺ですが、この“隅から隅”気質も結局は小さい頃からの訓練で身につくものであり、ひとつの性格です。大きくなって急になることはあり得ません。
しかも、この隅の程度に大いなる違いがでます。ある人の隅はここまで、ある人の隅はあそこまで・・・とその隅にいろいろは軽重・浅深・高低があるのです。つまり、その程度や体から発する隅の発想は、誰にも判りません。
物理学者や数学者の頭脳の繊細さ、囲碁将棋の詰めの深さ、など隅は隅でも、どこまでの隅かは人それぞれによって異なります。つまり、「隅から隅までやりました!」と言われても、どこまでやったのか、その程度に大いなる差があるということです。

▼凡人は、物事の表面を撫でて、
 分かったような人
▼非凡人は、物事への徹底した突っ込み方 を知っている人
▼天才は、その突っ込み方が異常に、圧倒 的に鋭い、深い、細かな人

お客様第一主義を掲げている企業は多い。多くの中小企業社長が、日々の朝礼でいかにお客様に接するか、その話し方から態度に関して、こまごまと注意しています。その程度には際限はないし、その理解力と実行力には個人差があるのです。その個人差のレベルをいかに高め、そして深めるかに企業力としての差が表れてくることでしょう。
このようにして隅から隅まで仕事を突き詰める人は、社内でも顧客でも喜ばれることは間違いなく、
「木目が細かい」
「気配りが利く」
「そんなとこまで」
「徹底している」
は喜ばれる境地です。

しかしながら、人に対して別な見方もできます。好まれない人とは:
「重箱の隅をつつく」
「詮索好き」
「物事に細か過ぎる」
「キチキチし過ぎる」
「ネチネチ」などです。

「隅から隅」や「細かさ」が人の心や他人との関係で、喜ばれるのは:
「きめ細やかな気遣い」
「奥床しい気配り」
「隅から隅まで徹底した配慮」です。

これができる人は、いわば非凡人です。
まず、前提が必要です。つまり特別な「人への思いやり」が必要です。どんなに気遣いしようと、どんなに徹底配慮しようと、孔子の訓える「恕」=思いやりの深さ無しには、あらぬ方向にて気遣いすることになるのです。

リーダーたる者は、あまり細かな人は向いていないといいます。いちいち細かな指示を出す人は好まれません。大まかな指示を出し、そのベクトルに沿っていれば、後は部下の自由に任せる、つまり部下の創造力の発揮を促す、というリーダーが理想的なタイプです。

「人間の幸福は自己の優れた能力を自由自在に発揮するにある」(アリストテレス)からです。しかし、それは表面上のことだけです。その前にリーダーほど、次のことが求められるのです:

「細かな視点」
「細やかな配慮」
「隅から隅までの目配り」
「隅から隅までの漏れのチェックと徹底」

これらのことを把握した上で大まかな指示が不可欠です。

「着眼大局、着手小局」と言いますが、佐藤一斎は『言志四録』において、次のように記しています。

「真に大志(だいし)有る者は、克(よ)く小物(しょうぶつ)を勤め、
 真に遠慮有る者は、細事を忽せにせず」

これこそ、「隅から隅まで」の理想的表現です。