『至誠の咆哮』NO.177
今日のテーマ:
『人に好かれる法』第86条
    「焦らない」
 
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第86条 焦らない
 世の中がぎすぎすしてくると誰でも疳が強くなる。焦々(いらいら)した人間同士が向かいあったら、必ずまさつができてくる。相手が焦々しても、一方がねっとりしていれば、自然相手もうるおってくる。焦ら立つ気持はまたすぐ伝染するもので、いよいよ互いの間を悪くする。幸運が目の前に見えているのに、焦立ったために失敗するのはよくある事だ。
ゆうゆうとした人は、焦立った人の感情を鎮める。
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 「焦る」とは、「早くやろう、うまく収めようと思っていらいらする」(勝ちを焦って失敗する)や「(気がはやって)足をばたばたさせる」とある。人が焦る時とはどんな場合であろうか。
●限られた時間内で収まる予定の仕事が終わりそうもない。
●待ち合わせの時間に相手が来ない、連絡方法も判らない
●電車の遅れにより、顧客訪問の時間に間に合わず、かなり遅れそうだが電話出来ない
●引き受けた仕事が期日までに終わらず、遅れそう
●部下に指示した急ぐ仕事が遅れている。連絡もしてこない。どうなっているのか?
●食堂に入って、「急ぐので早くして」と言ったにもかかわらず、思ったよりも遅れている。
●トイレに行きたいが、近くに見当たらず、我慢できそうもない

こんな時の自分の態度はいかがであろうか■足をばたばたさせ、イライラする
■時計を何度も見て(も同じなのに)、きょろきょろし落ち着きがなくなる
■立ったり、座ったりの動作を繰り返す。眉間にしわを寄せる。
■貧乏ゆすりをして、いかにも困ったような顔をする
■その本人の地位が高く、影響力が強ければ強いほど回りの人もおろおろする。

ひとたび深慮すれば、この動作・感情ほど無駄なことはないものだ。マイナスでありこそすれ、プラスに働く要因は見当たらない。しかも、この「焦る」は傍目にもよくわかるし、場合によってはそれを見せようとする人さえある。それは、害悪な空気を流しているようなものだ。こんな経験は誰にでもあるだろう。そこで、ぐっと静かに悠然とした態度がとれないのであろうか?
最も近くの親しいかあるいは眼下の者にあたりちらすのだ。どなりつけたり、荒々しい仕草で「オレは怒っているんだ!」と分からせるのである。部下はそれを見て、おろおろするばかり。どうすることもできないのである。
そして、飲み屋での酒の肴にするくらいでしか、それは使いようはない。自分を振り返っても、どうしても動作や感情を露わにする。

何があっても泰然自若、悠然沈着の人は、きっと物事を善処できる立派な人である。そのような人物でなければ、人間が出来ていないということであろう。
『呻吟語』(呂新吾)に人物のあり方の順番が記されている。
「深沈厚重は是れ第一等の資質。
 磊落豪雄は是れ第二等の資質。
 聡明才弁は是れ第三等の資質」
と言うのである。普通は、聡明才弁を第一と考え、深沈厚重は鈍物のように資質としては落ちると考えるのであるが、その方が徳を身につけて、動乱時、緊急時、切羽詰まった状況に陥っても、慌てず、騒がず、焦らずに物事を善処し、状況を司ることができるのであろう。この辺りに人間の幅や深みが、如実に表れるものである。

勝海舟が語った『氷川清話』に西郷隆盛の人物像を的確に記してある。
「坂本(龍馬)が薩摩から帰ってきて言うには、成程西郷という奴は、わからぬ奴だ。少し叩けば少し響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろうといったが、坂本もなかなか鑑識のある奴だヨ。西郷に及ぶことの出来ないのは、その大胆識と大誠意とにあるのだ」と。
そんな西郷の度量が、勝をして感嘆たらしめ、周りの焦立ちを鎮めて、江戸無血開城へと導いたことは疑う余地もない。

一人の焦りが、いや一つ一つの焦る心、逸る気が物事をいやがうえにも性急にし、混乱に落としめ、問題を複雑にすることになるのである。身のまわりに起こることを冷眼慧眼見て、悠然泰然として処することを心がけたいものである。