第84条 人のよろこびをよろこべる人
 
人の不幸や悲しみには同情できても、人のよろこびを喜べる人は少ないという。人のよろこびをよろこべる人は嫉妬心の少ない人で、自信のある人だ。また、情に厚い人である。真に何かを悟った人である。その心の伸び育った人は自分に都合の悪い人間の喜びさえ、まずよかったと思える人である。自分のよろこびを共によろこんでくれる人は悲しみの時の友よりも有難い。
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「よろこぶ」とは、『大辞林』によれば、よい事に出会って快い、楽しい、うれしいと思う、その思いを言動に表すこととあります。漢字にすると、「喜ぶ・慶ぶ・歓ぶ・悦ぶ」と4つもあります。それぞれの事態に沿って使う漢字を変えるといい表わしたいことをつぶさに伝えることができます。
しかし、そのよろこびには程度があります。これらそれぞれに色々な形容詞や副詞をつけることによってその度合いの程度を表現することができます。そして、どの単語を採用するかによって、微妙な心理のあやがわかるものです。

真のよろこびの順番としては、
1.自分自身の心のよろこび
▽何かを成し遂げた時、達成の喜び
▽何かが成就した時、
▽何か誇らしい事をした時(ボランティア活動など)
2.最も愛する人(妻・夫・恋人・子供)のよろこび
3.最も尊敬する人、人生の師(匠)のよろこび
4.最も親しい友人、気心に知れた古くからの友のよろこび
5.最も可愛がっている後輩、期待している若手のよろこび

ではないでしょうか。

その人たちのよろこびの内容が精神的な豊かなものであればあるほど自分のよろこびを大きくなっていきます。物質的なもののよろこびは、あったとしても刹那的で、長くは続かない性質をもっています。

よろこびが真のよろこびかどうかは、注意して見る必要があります。
「われわれはしばしば自分より有力な人たちを愛していると思いこむ。がしかしその友情は利欲から出たものなのだ。われわれが彼らに尽くすのは、彼らによいことをしたいからではなく、彼らからよくしてもらいたいためなのである」とラ・ロシュフコーが指摘するように、自分以外の人たちのよろこびを自分のよろこびと思ってはいても、そのよろこびは純粋なものではなく自分の将来に何らかの役に立つことを期待してのよろこびではないか?と自らの心の奥底に、一度問い合わせてみてみましょう。

すると、心がどう答えるかが真のよろこびかそれとも欲優先のよろこびかどうかが明らかになってきます。

カーネギーの名著「人を動かす」の人に好かれる6原則に「心からほめる」とあり、誉めることは人との関係をよくするためには重要な手段ですが、その時もその誉める気持ちが真の心から発するものか、そうでないのかを振り返ってみることです。誉める裏に自分がよくしてもらいたいとの下心があることに気づくことも多いはずです。そして、そんな気持ちを持ちつつ、あるいは少し否定する別の自分を感じつつ、上手な誉め言葉を選んでいる嫌な自分がいることに気付かなければなりません。
それは、お世辞でありおべっかですから・・・。

また、嫉妬心抜きに他人をほめることは困難でもあります。その心なしに誉めることができる相手こそ、真に愛している証になります。往々にして、ある時に自分が誉めていたことを、別の時になって、自分
が少しもよいと思わないのに気がつくこともあるものです。人のよろこびをよろこべる人はかけがえのない人に違いはありませんが、その場合はいろんな環境、置かれた立場、その時々の関係性などを鑑みてみましょう。
よろこぶ方も、ゆめゆめ相手によろこびの押し付けになっていないかどうか?を心に尋ねてみることです。

「愛しても而もその悪を知り、
憎んでも而もその善を知る」(『礼記』)