今日のテーマ:
『人に好かれる法』第83条
「ふところの温かい人」  NO.174
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第83条 ふところの温かい人
 
 真面目な話の中にもいつか人を笑わせ、決してかた苦しい思いをさせない人がある。どこに行ってもなごやかな空気を作って行く人、気まずくなった空気や、かたくなった気持ちをちょっとした機転でほぐしてくれる。こういう会話にはなんとなく安心がある。よりかかった気持ちになれるものである。
すぐに座を白けさす人に比べて大変な違いである。
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 いかなる生物も種の保存という本能により、雌雄の間に何らかのコミュニケーションがある(はずだ)。交尾に至るまでの求愛活動からその受入れまでがそうだ。雄は自らの種を子孫として残そうと命がけでライバルと戦い、求愛活動を行う。雌もどの雄の求愛を受け入れるかを、観察し、評価
し、その最も強く子孫として残すに相応しい雄を選んで交尾を受け入れる。

鳥類や魚類は卵から孵り、哺乳類は幼児で生れる。生まれるや否や親子の交信はもっと盛んになる。敵から守るための注意から、食べ物に関する誘い、移動する際に迷子にならないための躾けに至るまで(恐らく)懇切丁寧に、声もしくは動作、目つきなどで伝達し、教える(に違いない)。

 それが集団で移動する渡り鳥や哺乳類になれば、危険が一杯。いつ敵に襲われるのか、襲われる可能性さえもわからないのだ。そこで、なおさら緻密なコミュニケーションを行っていることであろう。
 人間は最も知能が優れた生物なので、最も発達した複雑な通信交流を行う。ところが、そのコミュニケーション活動が最近はとくに巧く機能していないことが多い。近年の家庭内暴力や親子のいさかい、学校では教師と生徒とのあつれきがある。会社内に置いても然りであろう。

 コミュニケーションは種の保存のためが原点だ。それから集団生活、社会生活を行うにあたって複雑なコミュニケーションを行う。哺乳類は知能が発達している類であればあるほど喜怒哀楽が表せるようになる。犬でも喜怒哀楽を表す。
 但し、人間以外は、言語を持たない。そこが決定的に違うところである。人類は外の動物と違うところは、火を用いること、衣服を着ること、器具を使うこと、自殺すること・・・などがあろうが、言語を用いて話しをするところが人間の高級たる理由である。
 そのハナシの大家徳川無声は、「コトバは心の使い」といい、ハナシをしているとその人の心が判る、また人格もわかる、という。また、言霊(ことだま)といってその発せられたコトバは魂を持つ。

 つまり、コトバの使い方によっては、同じコトバでも相手を傷つけたり、喜ばしたり、いやな思いをさせたり・・・する。どんなコトバをどんな相手にどんな状況で発したかによって、その人の性格や思いやりの度合い、弱者に対する心持ちなどがわかるものである。

 ヒルティは「ささやかな人々、とりわけ幼い子供や単純な貧しい人達や、いや動物にまで、信頼され好かれるということは、およそ人間の最上の標徴の一つである。子供や動物から好かれないような人は信用できない」とまで言っている。それは、相手の状況、心境に合わせてコミュニケーショ
ンができないことの現われであり、思いやりの心の欠如を露呈することなのであろう。孔子のもっとも重視した「恕」の意味をもう一度思い起こしてみたいものである。その一文字にさまざまなことが包含されている。     
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 このほど、ようやっと7冊目の著作『広報・PR実務ハンドブック』(日本能率協会マネジメントセンター)を脱稿し、今月16日頃から書店に並ぶことになり、ほっとしています。やはり、昨年7月から書き始めて10ヶ月、子供ができるだけの年月が必要と再認識しました。産みの苦しみ
は入魂とも思えます。