「人に好かれる法百ケ条」NO.166
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第79条 常に喜んでいる
何が嬉しいのかと思うほどよろこんでいる人がある。会っているうちに、自分の方までなんとなく嬉しくなるような人があるものだ。ちょっとしたことにも、よろこびを大きく感じている人である。これは幸せな性分である。
こういう人は自分の生活の中に、よろこびを作って行く人でもある。よろこびを作る才能のある人間は、禍をさえよろこびにしてしまう。失意の人や元気のない人をはげまし、希望を持たせてくれる人である。
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「よろこび」とは、大辞林によれば、「喜び・慶び・悦び」とあります。
要するに、良いことに出会って快い、楽しい、うれしいと思うこと。また、その思いを言動で表すことです。各漢字の意味を考えると:
喜び:一般的な喜び。嬉しい気持ち。
慶び:公式な式典、立派な業績をあげた
客観的よろこび。
悦び(歓び):得意満面のよろこび。
私的なよろこび。
幼児の表情をよく観察すると、まさに、驚きと喜びに満ち満ちています。どんなものに対しても、直視してそれに反応します。それは動物の本能です。外界の出来事は全て自分の制約外にあり、こちらの事情に無関係に一方的に発生します。その出来事を出来うる限り喜びをもって迎えられるように仕向けていくことは、少しの心がけで、その都度私たちにもできるのです。
私たちは、日々どのよろこびかの恩恵に授かっていると言えます。朝、目覚めてからの、日々の人間活動は、小さなことの繰り返しで成り立っています。
例えば、歯磨き・洗面・整髪・化粧・着替え・正装・・・どれもこれも重要というよりも欠かせない仕事です。この欠かせない小さなルーチンワークにおいても、そこに自分なりの工夫に喜びを感じる人はまさに幸せです。勿論、整髪一つにしても思い通りにならず上手くいかず、ちょっとした不愉快・小さな怒りなどに変わるケースも多いものです。
「慶び」は公的なよろこび、品性のある高貴な出来事への賛辞などです。なかなかいただける機会のないよろこびと言えますが、これが最もグレードが高いものなので願わくばこの慶びを回数多く味わいたいものです。
どんな出来事に、どの程度喜ぶかの表現方法にその人物の人生観が表れます。
○ 自分ひとりで内心喜ぶ。
「君子はその独りを慎む」(『大學』)
○ 身内に話して、共有して喜ぶ。
○ 他人に話して、喜んでもらう。
○ 大人数に公言し、喜ぶ。
これらは段々と独りよがりの喜びになっていくことに注意すべきです。喜ぶ対象と程度を手鏡で見つつ、静かに喜ぶ自分を見つめるのも、異なった味わいがありましょう、一人の喜びは決して一人のみに限られたものではなく、あらゆる「よろこび」
はたとえ短くとも、それは泉のように湧き出て来てくれるものです。
但し、その道筋は表からは見えず、各人がそれを見出しその道を見出し、よろこびを導いてあげることです。
「歓楽は長く留まり難く、悲音は尽くる
時を知らず」(『哀詞序』北村透谷)
といい、つかの間のよろこびに終わるのも茶飯事。
室生犀星は「小さな喜びを各個の生活に、自然は必ず装填してくれる。亦、必ず人間はそれを見出さずにはおかないものだ」(『詩について感想』)と日々の生活の中に自然の恵みが必ずあると励ましてくれます。