第七十五条 欲があって差支えない 

 欲のない人間くらい、つまらないものはない。世のないのや、少ない人はどっちから言っても値打ちのない人間だ。魚心あれば水心、欲あってこそ楽しい人生だ。ただその欲が汚いか、健康的かということが問題なだけである。健全な欲ならば大いにあってよく、欲の強い人間ほど人を引きつ
ける力を多分に持っているのだ。立派に欲張るべし。
 
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 欲とは、動物・人が、それを満たすために何らかの行動・手段を取りたいと思わせ、それが満たされた時には快を感じる感覚のことです。欲望・欲求等ともいいます。
 それは生理的(本能的)なレベルのものから、社会的な高次なものまで含まれますが、欲があるのは人間の本能です。むしろ、本能的な欲求が減っていくことは、あまり好ましいことではないものです。食欲が減退すればどんな意欲も減退します。性欲減退は物事を成し遂げようとするパワー
の衰退を意味します。
 佐藤一斎も「欲は人身の生気。これありて生き、これなくして死す」(『言志四録』)と言うように、欲は生きる源泉でもあるのです。
 人間の欲とは、生命に関係する本能的欲求、つまり食欲さえ充たされれば、正常な人間である限り色んな欲が起きます。
1.知りたい欲求
2.聞いてみたい欲求
3.触ってみたい欲求
4.自分の力を試したい欲求
5.結果を見たい欲求
6.他と比べて見たい欲求                         
 このような欲は、個人においても、どんな組織においても、望ましい普通の欲求です。これがない人は余程物事に意欲のない人でしょう。但し、問題はその程度です。それにその人の力量・人生観が現れます。人の成長とは、上記のような欲を充たすための回数とその結果の積み重ねとの掛け
算ともいえましょう。つまり、長い間において個人個人に大きな差ができることになります。

 常に1から6までを繰り返すことです。どの段階でもいい、トライ(試行)するのです。するとエラー(錯誤)する。そして、反省修正して、再度トライし、エラーする。その内、サクセス(成功)となります。いや、もうそれぞれの段階が一種の成功と言えることも多々出てくることでしょ
う。上達のプロセスは、どんなことも、トライアル&エラー(試行錯誤)の繰り返しです。TAEのRepeaterになることです。イチローでもタイガーウッズでも、いや音楽家でもTAEの達人です。経営に至っては、日々のTAEの連続そしてその結果を見て、そのリピートまたリピートとなります。それを
いかに多く実践するかに成否があるように思います。
「身をも人をも頼まざれば、是なる時は喜 び、非なる時は恨みず」
         (兼好『徒然草』)
(自分をも人をも当てにすることがなければ、うまく行った時には喜ぶし、うまく行かなくても、もともと誰をあてにしていたわけではない
  ので、人を恨むこともない)

 無意識は、創造性や芸術、愛情、ユーモア、遊戯、ある種の真理や知識の源として尊重すべきです。それは、自然現象の中に斬新な美しさを感じ取る能力を持っています。過去への依存と踏襲に創造性の入る余地はありません。過去を離れ、今の課題に集中して未来を目指す時、創造的能力が
磨かれのです。

 兼好が「大欲は無欲に似たり」(『徒然草』)というように、勘=インスピレーションを沸き立たせるには忘我、無我、無心となることが不可欠です。神秘的なもの、未知なるもの、新奇なもの、あいまいなものに直面しても自由に行動する力と勇気が要ります。予想外の事態の出現をありの
まま、自然に受け容れるのです。行為が自発的であればある程その成果は創造的となります。それによって、好奇心の満足、知的発見の喜び、共感、勝利感を強く感じ、人間の生きる喜びを体験することができるのです。       

 或ることに名声を得ようと思えば、その或ることに全力投入することです。ソクラテスを師と仰ぐアテネの軍人クセノフォーンによれば、ソクラテスは常々「名声に達する道は、自分が何かで偉いと思われたい事柄に、じっさい卓越した者になるより他に道はない」(『ソークラテースの思い
出』)と言っていたそうです。

 欲求の満足は、人格全体にも測り知れない影響力を与え、対人関係にも好影響を与えます。真・善・美といった満足は、精神の健康と密接な関係に立ち、欲求の満足が健康な人格形成の土台を築くのです。

「人間は、時として、充たされるか充たされないか、わからない欲望の為に、一生を捧げてしまう」(芥川竜之介『芋粥』)が、その愚を笑う者は、つまるところ、人生に対する傍観者に過ぎないのです。