「人に好かれる法百ケ条」第七十三条
 
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 第七十三条 水清ければ魚住まず

 嫌いばかり多い人はいかにも几帳面で、けっぺきの強い人である。しかし水清ければ魚住まずのたとえ通り気むずかし屋は、人が近づかない。誰をでも近づかせる人物はあれこれとあまりよりごのみしない。
 近づく人の長所だけ見出して行けば、僅かな欠点は見のがす亊ができ、誰とでも握手ができる。 
 
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 04年12月、翌年2月出版予定の拙著2冊目の原稿が出来上がった頃、帯を誰にお願いするか?と思案しました。一冊目は嶌信彦さんで実に好評でした。そこで、毎日新聞OBの友人に相談したら「ゴーンさんはどうだ。ゴーンさんはもう日産のゴーンというよりも今や国民的な英雄だ」というアイデアでしたが、結局それは無理だろうと笑い話に終わりました。が、その夜寝ながら「ひょっとしてゴーンさんにOKしてもらえるかもしれない」と思い始め、「頼みにいってみよう」と決心したのです。それは二つの理由からです。

一つは 「命までは捕れないだろう」
二つ目は「本当に偉い人は怒らない」

という信念でした。

 聖書に「柔和なる者はこの世を嗣ぐべし」とあるように「この世を受けて引き継ぐ者は柔和なる者なりとは、従順なる人は永久にこの世の継続者である。剛いもの、力をもって世をあっとうするものは、たとえ一時の効はあるとも、永久には継続せぬ」(『自警録』)と新渡戸稲造は力説しています。

 そこで、翌日日産の広報部長に電話すると、「数日後の12月22日に1時間だったら空いている」というので、原稿を見せて頼みに行ったのです。つまり飛び込み営業です。すると、「ゴーンは明日から米国・ブラジルに出張し、来年1月20日ま
で帰国しない。回答はその後になる。但し、この本の内容であればOKがでる可能性がある」というのです。そこでダイヤモンド社と相談出版を1ヶ月延ばしてでも、ゴーンさんの回答を待とうとなり、結局1月後半に「GOサイン」が出たのです。しかもゴーンさんは帯ではなく、中に序文として入れてもいいとの亊。そして3月10日ゴーンさんの「序文」付きしかも表紙には私の名前の下にゴーンさんの名前があるという、実に尋常ではありえない表紙になったのです。
 こんな経験から、ますます偉い人は懐が深いことを実感したのです。各自大なり小なりいろんな場面で同じような経験もありましょう。誰でも真剣な志を持って亊に当たれば、偉い人はえり好みせず受け止めてくれるものと信じます。
 甘いも酸いもそれぞれ分かる人物、黒い世界も明るい世界も「清濁併せ呑む人」の方が「純水にのみ住む人」よりもたくましいもの。心に余裕を持ち、どんなことでも受け止めて挙げられるようになりたいものです。
 
立派な人は穏やかさで自他を守るが
劣った人はかたくなさで自他を苦しめる。
果実をつけた木は自他を守り
乾いた木は自他を焼く。
        (『サキヤ格言集』)