今日のテーマ:
「人に好かれる法百ケ条」

 第七十条 常によろこんでいる

 何が嬉しいのかと思うほどよろこんでいる人がある。会っているうちに、自分の方まで何となるような人があるものだ。ちょっとした亊にもよろこびを大きく感じている人である。これは幸せな性分である。
 こういう人は自分の生活の中によろこびを作っていく人でもある。よろこびを作る才能のある人間は、禍をさえよろこびにしていまう。

 失意の人や元気のない人をはげます、希望を持たせてくれる人である。
 
   ―――――――――――――

 私たちに嬉しさを与えるものは何でしょうか。
 ▽ やりたい目標が達成された時
 ▽ 身内にいいことがあった時(結婚・   出産・入学・昇進・・・)
 ▽ 自分の成果が認められた時
 ▽ 尊敬する人に誉められた時 
 ▽ 人に何かを施し、お礼をいわれた時
 ▽ 誰も気づいてくれなくても、自分で   うれしい時・・・

 このような事例に対して、誉められると人はよろこび、うれしくなります。どんな人も喜びます。誉める人に社会的地位があり、有名であればあるほど嬉しさの度合いが上がり、また、自分の尊敬の度合いが深ければ深いほど、その喜びは深くなるのです。

 常によろこんでいる人は、朗らかな人です。朗らかさは健康であることより、得られます。病気の人に朗らかな人はいません。どんなに金持ちでも地位が高くても、健康でなけえば、幸せであるはずはありません。最低、飢えさえなければ不健康の苦痛なく一日を過ごせることは最高に幸せなのです。多く笑うものは幸福なのです。

 ショウペンハウエル曰く
「幸福を与えるものは朗らかさ以外はなく、朗らかさは幸福の正真正銘の実体、外のおいっさいのものと同じような単なる兌換券ではない」

 朗らかさは無上至高の財宝なのです。私たちはこの財宝の獲得増進をほかのどんな努力よりも重くみるべきでしょう。朗らかさにとって富ほど役に立たないものはなく、健康ほど有益なものはありません。
 いつもよろこびを心に抱いている人は、周りのひとにもよろこびを分けるものです。その人のまわりは、いつも何ともいえない雰囲気に包まれています。その人の応対を見ているとどんな場合も、明るく大らかに迎えてくれます。

 森鴎外は「常に晴れやかな気分をもって、人との対面の場に臨め。人と談話する時は、真直ぐに相手も顔を見ること。そして穏やかな視線を送れ」(『智恵袋』)
と勧めています。

 常によろこぶためには、何かよろこばれるようなことを行って、自ら内心よろこぶことです。人に誉められてよろこんでいるだけでは不足です。 誰も気がつかなくても、自分が一人で自分をよろこぶことです。誰もいないところで、密かに「やったぞ!」とガッツポーズができるよろこびは
誉められてうれしいのとは別のうれしさ・喜びであるように思います。小さいことから成功体験が増えれば増えるほど、よろこびをうまく創リ出すことができます。それは「小恍惚=小さなエクスタシー」なのです。
 いつもよろこんでいる人は、小恍惚をいくつも味わっています。いろんな人生の味わい方を知っている人です。それだけ人生に小さくともいろいろな花を添え、小さな楽しみを増やしましょう。これは、人それぞれ誰にもできることです。一つのともしびでも少しは周りを明るくするからです。

 「一燈照隅 万燈照国」まず自分が1つのともしびでひと隅を照らすことです。

 するとそれが合わさって国全体をも明るくすることができます。
 新年にあたり、まず一から始めましょう。
                            
  ――――――――――

 皆さま、あけましておめでとうございます。ご購読に感謝して、本年も続けてまいる所存ですので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 年末年始は3-4月にダイヤモンド社から出版予定の新しい本の校正で費やしました。2冊同時に出版されます。
一冊目は『人に好かれる法』という60年前に書かれた本を私の編集で復刻するのです。作者は近藤信緒(ペンネーム)という女性。20年前に亡くなられています。 私はこれを30年くらい前に手にいれて座右の書としています。
 1949(昭和24)年に出版され当時の青少年に勇気と生き甲斐を与えた教養書ですが、その内容は現代の人たちへの啓蒙の役割を果せるものと確信しています。その本の終章に「人に好かれる法五十ケ条」があり、私が3年前より一条ごとにこのメルマガで解説していた内容に加筆修正
を加えて一冊の本にするのです。
 ここまで続いているのも皆さまに励まされたお陰です。心より感謝申しあげます。