「人に好かれる法百ケ条」 NO.154
第六十九条 自己中心の人
相談事となったらかならず逃げるような人、こんな人は誰も快く思わない。自分に損になる話はすべて逃げ、人の利益になる話には興味を持たず、人がほめられるといやな顔をし、自分中心になるとニコニコする。共同の仕事には精が出ず、自分の仕事には熱中する。
こういう人は誰にも嫌われる。
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社長から独立を促されたある役員が、秘書になる女性を面接し、採用しようと思ったが、第三者からみてもらおうと、社長に「ちょっと会って欲しい」と頼んだ。すると「いやですよ。会うと責任を持たないといけないじゃないですか」と言ったそうです。こんな社長は、相談を逃げる人とい
うよりも正に自己中心の人ですね。
また、他人の心情を判ろうとしない冷酷な人でもありましょう。
人は誰でも最も大切なものは自分です。ある事象が身近に起こると、まず、自分のためになるのか?と自分との利害を瞬間的に考えるのが普通です。次に家族の利害、会社の利害、取引先や顧客の利害、それに地域社会、国(民)、世界(民)の利害と、自分をコアにして円周を描くに従って、個人的関係は浅くなってきます。
しかし、外に行くに連れて大きな円となり、その影響は増大し、次第に大義になっていきます。つまり、自分より遠くの外側のことを社会的な立場で考えられる人ほど、視野の広い人であり、物事を高所から見る優れた人であり、多くの人のために考える人でありましょう。
そんな人に徳が宿っていくものと信じます。
「誰しも自分以上のものの見方はできない」とショーペンハウアーが喝破するように、人は自分の知力・経験などに応じて他人を把握し、理解しうるに過ぎないものです。すべて自己中心なのです。そこで、この見方を高めるためには、自分のものさしの高度と精度はどうなのかをいつも疑い、
常に高揚するように自分なりの修養をしていなければなりません。
こうして、次第にできるだけ相手のものさしの程度を計り、それに応じて考えてあげる余裕もでるのです。また、自分のものさしで計ることが難しければ、他人つまり師匠や友人の優れたものさしに頼るといいでしょう。
目の見えない人に色がないように、相手の精神の高さは自分の方が低ければその程度のほどは見ることはできません。相手の奥深い気持ちを理解していないのではないか?といつも注意していると謙虚になれるような気がします。