「人に好かれる法百ケ条」第六十六条
  
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 第六十六条 心の憂さの捨てどころ
 
 話のうまい人は人に好かれる。しかし、聞き上手は更に好かれる。誰でも話したい。きくよりは話したいのである。特に自分の亊を話したい。
 うまく相手自身の亊を話させるよう、話のつぎほのうまい人、こういう人は誰にでも好かれ、親しまれる。心の憂さの捨て所は決して酒だけではない。
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 「酒は涙かためいきか 心の憂さの捨てどころ」とは、昔はやった歌ですが、今の社会においても、酒席はいわば心の憂さのはけ口と言ってもいいでしょう。
憂さとは気持ちが晴れないこと・いやなこと、いわばストレスとも言えます。その憂さをお酒の力を借りて「憂さを晴らす」のは身近なストレス解消となります。
 その時、相手には聞いてもらう必要があるので、誘う相手を選ぶことになります。
 まず、部下。気心を知れた部下ならば、「またか、うるさいな」と思いつつも表面的には喜んで話を聞いてくれるでしょう。

 次に同僚。同僚に対して憂さ晴らしをすることがもっとも一般的ですね。お酒に麻雀もそうですし、ゴルフも同じです。しかし、話の内容によっては、友人関係はよほどの人でない限り、敬遠するほうがよいでしょう。出世競争に弱みを見せることは別のストレスとなるかもしれません。

 やはり、先輩が一番いいのです。そんな憂さ晴らしに付き合ってもらえる先輩は貴重な人です。自分の性格もわかり、長所短所も把握してもらっているとの前提で、何を話しても聞いてもらえ、さらには適切な助言もいただけるのですから。

 ただし、兼好も「久しく隔たりてあひたる人の、わが方にありつる亊、かずかずに残りなく語り続くるこそ、あいなけれ」(『徒然草』)と言っているように、久しぶり会った友人が、自分の亊ばかりを話すのを聞くのはいやなものなので、その辺の配慮は必要です。 

 キリスト教の懺悔や告白も、結局、庶民の日頃の憂さや悩みを1対1で聞いてあげることです。牧師さんは、もっとも聞き上手な人ともいえましょう。
 聞き上手な人とは話させ上手な人です。そんな人は、相槌(あいづち)を打ったり、要所要所で頷いたり、「えーそうなの」などとつなぎ言葉を発したりと、相手の話に乗ってあげられる心の余裕がなければなりません。
すると、話し手は調子にのって何でも話してしまうので、気分が爽快になります。

 話しの名人徳川無声によると「ハナシは人なり。コトバは心の使い」といい、良い話をするには、良い心をもっていなければならないそうです。