第六十二条 きどらない
物を遠まわしにいう人、裏からばかり物を考える人はきらわれる。少しくらいとどかなくても真直ぐに、ありのままに自然に、きどらないで物事をやるのは見ていて気持ちのよいものだ。
あけっぱなしの人を好かぬ者はない。あけっぱなしの人の前では、身分も貧富もお互いに忘れて、平等に交際できる。
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気取ることは、体裁を作る・上品ぶる・見得を張るという意味で、結局自分にないものを誇ることです。気取った人は一言でいえば、ぶってる人、イヤーな人です。ぶりっ子タレントも思い起こします。
ショーペンハウアーは、
「気取りは、必ず相手に軽蔑の感情を起こさせる。第一に、気取りは欺瞞であり、それ自体卑劣である。第二に、自分が自分のあり方とは違ったあり方、自分のあり方よりもましだと思うように見られたいと思っているからには、その意味で、気取りは自分が自分で自分にくだす永劫の罪の判
決だからである。何かの特質を気取り、それを自慢するのは、そうした特質をもたないことを白状するようなものだ」
と痛快です。
それでも気取りたい時もありましょうが、気取っているということだけは、すぐわかるものだと心得ていることです。
セネカも「誰も仮面を長いことかぶっていることはできない。偽装はやがて自己の本性へ立ち帰る」と警告しています。
そんなことより、ありのままで素直な気持ちで常に人と接し、物事に対処することが大切です。つまり「らしく、ぶるな」ということ。自分らしく素直でいられる人は、自信のある人です。少し広げて考えると、地位の上下・貧富の差・民族や宗教の違いまでも超越して、誰にでも変わらず付
き合える人は、しっかりとした自分のアイデンティティをベースに、独自の思想・志を抱いている人といえましょう。