『人に好かれる法』
第六十条 好かれる極致
人に好かれようとせずに好かれ、嫌われていヽものに嫌われる。自分の好む所に自分をおいて好むものに取りまかれ、何の技巧も努力もなく気儘に振舞って嫌われない。自分より高いものに好かれて硬くならず、自分より低い者に好かれて汚されず、人の嫌悪を超越して悠々自分の仕事をし、
生活を楽しむ。
天もよく、地もよく、人もよく、すべてが自分のためにあると満足して愛して行く、こう言う好き方好かれ方がその極致だ。
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本条は、簡潔簡明にして優美優雅なる名文です。この極致に至る人は人生の極意を会得した人、つまり人生の達人とも言えましょう。達人は、多種多様な経験の蓄積を通じて、その真髄を会得し、悟りの境地に至った人です。そんな人は、何かより典雅なるものを常に求めてやまないものです。
「高い人間とは、自分より高いもの自分 の上に持っている人間に他ならない」
(ジンメル)
国語辞典によれば「好き」とは、
1.こころひかれるさまであり、
2.もの好き
3.気儘
とあります。また「すき」の響きには、隙・数寄(風流)・透き・空き・数奇(波乱万丈・不運不幸)という興味ある意味があります。
つまり、好かれる人とは、まずは人の心を惹く人でありますが、そのほか、好奇心旺盛な人、何か心に隙のある人、数寄(風流)な人、透き通った人=純粋な人・天真爛漫な人、心の空な人つまりわだかまりの無い人・包容力のある人、数奇(波乱のある)の人、勇気ある人などでしょう。
好かれる人というのは幅広いものです。 共通点は、「空(から)っぽ」ではないでしょうか。つまり「空」です。「空」といえば「般若心経」にある「色即是空 空即是色」に想いが走ります。空には差別はなく、所有もない。好きも嫌いもない。窮極の自由であります。
長野円福寺の藤本幸邦老師は、 「愛すればこそ空 空なればこそ愛」
と喝破されました。
従って、人に好かれる極致とは、「空を実践する姿」であり、好かれる極致に至る人とは「空の人」であり「愛の人」でありましょう。