フジサンケイビジネスアイ
8月28日(月)付け
危機管理・コンプライアンス欄投稿記事
プール事故から仕事の教訓を学ぶ
「利用者の安全」が本来の仕事
去る7月31日ふじみ野市営プールで流水プールの吸水口から吸い込まれ、死亡するという痛ましい事故が起きた。通常格子状のステンレス製のふた2枚はボルト固定であるが、外れた1枚は針金補修であり、監視員と看護師などが15人いても、ふたが外れたという通報の重大さを理解していなかった。島田市長は「施設の管理責任者として」と陳謝した。
国交省は所管する全国1856箇所にある都市公園のプールの全国調査を“初めて”実施したが、過去に多くの同様の事故が発生していながら、遅きに失する。文部科学省が実施した緊急調査で、全国の学校や公営プール約五千ヶ所で調査の済んだ二千九百ヶ所のうち、吸い込み防止二重防止なし二千ヶ所、ふた固定不備四百ヶ所合計二千四百箇所のプールで吸排水工の安全面の不備が見つかった。群馬の流水プールにおいても7月下旬に遊泳中の男子二人の下半身が吸水口に張り付き、動けなくなる事故が発生している。
▽関係各省は、“通達”が仕事と錯覚、他の省庁との情報共有も怠った。県や市もそれを関係先に通達するだけ。“利用者の安全”が本来の仕事であろう。
▽市は、管理業者「太陽管財」に仕事を“丸投げ”。太陽管財は、その仕事を“無断で13年間も”「京明プランニング」へ“再丸投げ”。両社とも吸水口のビスが無くなり針金使用の事実を掴みながら放置。マニュアルもなく、安全点検も人任せ、等々。通達も丸投げも同類と言える。
▽保険所も安全対策や水質管理の立ち入り検査を一度も実施せず、義務を怠った。
このような無責任の連鎖は、古代ローマ皇帝マルクス・アウレーリウスの「或ることをなしたために不正である場合のみならず、或ることをなさないために不正である場合も少なくない」との警句を想起させる。天災以外の危機は、仕事に対する姿勢に根本的な要因がある場合が多々ある。
仕事への望ましい心構えとは:
1.先人に学び前例を生かす
20年前から同様の事故が頻発、この10年間で7人もの死亡事故発生にもかかわらず、適切な対策を講じていない。「あぶないプール」の著者有田一彦氏は「ふたを固定しないのは殺人行為」と関係者の危機意識の薄さを指摘する。先例を看過する事なかれ。
2.独創力を発揮し、真の仕事をしよう!
仕事とは、単なる作業をこなすのではなく、自己の独創力を発揮して自分しかできないことをやること。自己の優れた能力の駆使を忘れてはならない。「人間の能力は使用されることを求めてやまず、人間はその成果を何らかの形で見たがるものである」とショウーペンハウアーは喝破する。
3.仕事は自分の作品創り!
仕事とは、何らかの成果を得ること。その成果物は目に見える形もあるし、目に見えない形もありそれを見たがるのが人間だ。それらは、各人の独創的価値の付与によって、より高い価値へ昇華したものであり、たとえある成果物の一部としても、その人の“作品”である。製造現場の人も、経理や営業の人もそして社長こそ、自分の作品創りが仕事だ。
4.倫理的な異常者になるな!
スポーツはルールの最下限での競争である。マーケットでの競争であるビジネスにもルールがあり、その限界での競い合いが勝負の分水嶺ともなろう。しかし、ジンメルは、「最低限だけを守る人間を『倫理的異常者』」とし、今、流行(はやり)の“コンプライアンス”に警告する。
人間の世界には、道徳・慣習・善が存在する。一人でも多くの『倫理的正常者』を増やさなければならない。これからは人間の競争である。
5.すべては、人間の幸福のために
仕事も会社も国家も、そしてそれを支える法律も経済もあらゆる人間活動は、人々に幸福をもたらす仕組みである。ヒルティは、「仕事への高い動機は、仕事そのものや人々に対する・愛や責任感情である」(『幸福論』)べきだと、自分自身を超えて人類社会の大問題に参加する気持ちで働くことを推奨する。幸福はあらゆる学修や努力、すべての窮極の拠り所なのである。