第五十八条 夕立のような気腑
ふだんは怒らない。大ていの事は歯がゆいほど怒らない。しかし、ここぞと思うような時には、手出しのできぬ勢いで怒り出す。しかも言うだけ言えばあとはけろりと、夕立のあとのようにすがすがしい。こんな気腑の人はたのもしい。それだけに怒りの値打ちもはっきりする。鶴の一声というわけだ。
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昔から、肝の据わった人だとか、太っ腹の人は、親分肌の優れた人物と見做されています。めったには怒らないが、怒る時はよほどのこと。いつもにこにこしてはいるが、回りの人はいつも一定の緊張感を保っている。このような状態はある組織や集団を一定の目標へと導こうという意図がある場合には、有効でありましょう。
そんな人は、自分の感情を抑制できる人です。セネカは、怒りを短期の気狂いだといいます。怒りは自らを抑えることもできず、品位も汚し、親しい間柄を忘れ、怒り出せば執念深く一途に熱中し、道理にも忠告にも耳を閉ざすと指摘して、適度に抑制することを勧めています。その最も良い方法は、怒りの最初の刺激を即座に退け、その芽生えにさえも抵抗して、怒りに走らないように努力することだというのです。怒りは人間のもつ獣性の発露です。
一方では、怒りは心気を高揚し鼓舞し、またそれなくしては、勇猛果敢な行動によって如何なる戦争中の偉業も行われない、と。本条にあるように、ここぞという時には、「激怒してやる」のでしょう。
すなわち、怒ることによって炎を吹き込み、その刺激でもって勇敢な人々を強く駆り立てて目的を達成させる原動力を生み出すのです。
怒りを正しく抑制できる人物を目指すことは、自らをワンランク上に引き上げることになります。「怒り勃発激しくあれど、続く波並は平らかなり」という状態を創り出せる人こそ、真に意味で「鶴の一声」で集団を動かせる一角の人物といえましょう。
「限りなき腹たつことの有りとても
色にもらして声高うすな」
(新渡戸稲造)