「人に好かれる法百ケ条」
第四十七条をお送りします。
第四十七条 忘れっぽい人
忘れっぽい人は決して人に、嫌われない。なぜなら自分の悪口も、人の失敗も世間のうわさも直ぐに忘れるから、馬鹿でない限り忘れっぽい人は或る意味で心が清潔だからだ。借金や約束を忘れる人は大人物か無責任な人間で一寸困り者だが、誰でもが嫌がる様な事を細かに覚えている様な日
とは面白くない。
人のためにも好都合な事、快い事だけを覚えていてつまらぬ事はみんな忘れる。これは生活の達人だ。
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昔習ったフラメンコギターの先生が「自分は記憶力がよすぎて失敗した。あまり覚えているといいことはない」と言われたのを思い出します。先生は、記憶力に特異なる才能があり、会話をほとんど鮮明に覚えているそうです。ギターリストとして独立前の会社員時代、上司などが以前と違うことを言った際、その都度注意していたら、嫌われてしまったというのです。
ところが、何でも忘れてしまうこともうまくはいきません。信用問題に関わるからです。そこで、適当に忘れ適当に覚えておくほかはないのですが、もっとも良い処世術としては、よく覚えてはいるが、言うべきことしか言わないことでありましょう。これは、相手への思いやりに通じます。
つまり、「忘れてあげる能力」言い換えれば、「忘れてあげる心遣い」を
磨くのです。すると人間力が少し高まる気がします。
「結婚前は両目で良く見て、結婚したら片目をつぶれ」とは言い古された披露宴でのあいさつの一つですが、これも「忘れてあげる気遣い」のことです。こう思っていつも過ごしていると、物事が客観的に見えてきます。人の発言を客観化し、優越の立場で相手や事象に対し配慮することができるのです。
フランスの哲学教師だったエミール・シャルティエの『アラン定義集』に
「赦(ゆる)しPARDONは、無償の賜物であり、義務付けられていない賜物である。赦すことは正しさ以上のもの」とあります。
「忘れてあげる」とはこの「赦し」に近い感覚でもあるのです。
『菜根譚』に、こうあります。
「我、人に功(こう)有るも、念(おも)うべからず。而(しか)るに、過(あやま)たば則(すなわ)ち念わざるべからず。人、我に恩有らば、忘るべからず。而るに、怨(うら)みは則ち忘れざるべからず」
これは、「自分が他人に何かをしてあげたとしても、そのことを心に留めておいてはいけない。しかし、他人に迷惑をかけたならば、そのことを忘れてはいけない。また、他人が自分に恩義を与えてくれたなら、そのことを忘れてはいけない。しかし、他人に対する怨みは、忘れるようにしなければならない」ということです。
これは『言志四録』にいう「施恩は忘れよ、受惠は忘るな」と同じでしょう。
つまり、「我れ恩を施(ほどこ)しては、忘れるべし。我れ惠を人に受けては、忘るべからず」
私たちは、ゆめゆめ、これが反対にならないようにしなければなりません。