「人に好かれる法百ケ条」第四十五条をお送りします。
第四十五条 変化に富む人
真面目一本槍の人間かと思えば時に驚く様なくだけた話もやり、弱気な人かと思えば、あっと言う様なはなれ業もやる。短気な人かと思えば、人の出来ない様な精進をしており、派手に金を使うかと思えば実に計算高い仕事をしていると言う風に光と影が屈折して絶えず色や形を変えて見せる様に変化に富む人は又面白い。
我々は物の組み合わせの妙を好むからだ。そこで不良などに一寸幻惑される。
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真面目(まじめ)とは、本気・真剣であるさま、精神を込めるさま、誠実とあります。一般に、真面目な人とは、誠実で曲がったことができない人や生真面目で気の小さい人にも使われます。「あの人は真面目な人」というひびきには、時に少し馬鹿にした感じもあります。「もう少し世渡りが巧くなくちゃー」というわけです。
そこで森信三は『修身教授録』において、真面目は「真の面目(しんのめんぼく)」と読むというのです。するとまったく意味が変わってしまいます。自分の真の面目を発揮しようとすれば、生半可な覚悟では不可能です。自分を最大限発揮する全力的生活を送ることであります。そこで、人との応対にしても、一見ひ弱そうに見えても、心に刃(やいば)を持ち、いざとなれば、断固闘う誇りと勇気を備えている人が望ましいのでしょう。
以前、「つもり違いの十か状」をご披露したことがありますが、読者に追加していただいたのも含めて、もう一度披露しましょう。
(1) 高いつもりで低いのは 教養
(2) 低いつもりで高いのが 気位
(3) 深いつもりで浅いのは 知識
(4) 浅いつもりで深いのが 欲の皮
(5) 厚いつもりで薄いのは 人情
(6) 薄いつもりで厚いのが 面の皮
(7) 強いつもりで弱いのは 根性
(8) 弱いつもりで強いのが 我
(9) 多いつもりで少ないのは 分別
(10) 少ないつもりで多いのが 無駄 (11) あるつもりでないのは 人情
(12) ないつもりであるのが 悪い癖
(13) 大きいつもりで小さいのは
器・肝っ玉
(14) 小さいつもりで大きいのが 態度
(15) 太いつもりで細いのは 神経・ 取引関係・人脈・夫婦の絆
(16) 細いつもりで太いのが
足・血縁・神経
(17) 広いつもりで狭いのは
顔・世の中
(18) 狭いつもりで広いのが 門
(19) 柔らかいつもりで堅いのは 頭
(20) 堅いつもりで柔らかいのが 結束
(21) 篤いつもり薄いのは 友情
(22) 薄いつもりで篤いのは?
改めて、読者からの優れた頭脳に期待し、さらに増やしたく存じます。
また、『言志四録』にこうあります。
「執拗は凝定に似たり。
軽挙は敏捷に似たり。
多言は博識に似たり。
浮薄は才慧に似たり。
人の似たるを持って反省すれば、 可なり」
つまり
「“しつこい”のは
“信念の固い”のに似ている。
“軽はずみ”なのは、
“すばしっこい”のに似ている。 “口数が多い”のは
“物知り” に似ている。 “うわすべりで軽薄”なのは
“才覚がすぐれている”のに似ている。 このように、他人の似て非なる行動を 視て、自分を反省するがよい」
との訓えです。
本条のように、いろんな側面を見せる人物は、いわゆる真面目な人からみれば何か信用のおけない人のように見えることでしょう。しかし、人生の生き方の幅からすれば、面白みや深みのある人生を送ることができることになります。また、相手や周りを見て、意図して演じることができる人は、相手を察して配慮する心の行き届く人にもなりましょう。
ウエイン・ダイアーは
「私たちは自分の人生の主人公を演じる かたわら、もっと雄大のドラマの端役 をもつとめている」
という。
毎日状況に応じて自分を演じることです。上役の時は上役の役を立派に果し、部下の時は部下を演じきり、家に帰れば、父親を、夫をあるいは恋人役や友人役を演じるのです。その役柄を自分のものとし、TPOに応じて演じ切れるものが、本条でいう理想でありましょう。
所詮、「人間は思想の影絵に過ぎない」
のです。