「人に好かれる法百ケ条」第四十四条をお 送りします。

 第四十四条 活力の漲った人

 何時会ってもピチピチと元気のいい人、弛緩を見せない人は魅力を失わない。長い間愛し合っていた恋人が不意に訪問したところ折あしくも半眼半開きの口に涎を流していたと言う。好意と愛情も一瞬にけしとんで、二度と顔を見るのもいやになったと言う。
 しっかりした人間は寝ていてもこんな無様はしない。ところが我々はおきていても、半眼半開きの口をして涎をながす様な精神状態を平気で人に見せるものだ。気をつけなくてはいけない。
    
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 いつも元気でいられることは、それ自体、幸福の証です。それがたとえ空元気であっても幸せでしょう。つまり、空元気を出せるくらいは、元気だからです。古人は「多く笑うものは幸福だ。多く泣く者は不幸だ」と言ったそうですが、ショウペンハウエルは『幸福論』において、

「幸福を与えるものは朗らかさ以外にはない。朗らかさは無上至高の財宝である。朗らかさにとって冨ほど役に立たぬものはなく、健康ほど有益なものはない。下層の勤労階級、ことに土地を耕す階級には朗らかな満足した顔がつきものであり、富んで身分の高い階級には渋面食った顔つきがつ
きものである。そこで何よりもまず高度の完全な健康を得て、そこから朗らかさが花と咲き出るように心がけるがよかろう」

 と健康の重要性を説いています。健康でなければ真の元気は出ませんし、長くは朗らかに振舞えないでしょう。

 しかし、たとえ少しばかり体調不良でも、表面的には元気に振舞うように努力したいものです。それは、相手に無用な心配をさせないという配慮でもあるし、自らを奮い立たせる一つの方策ともいえましょう。

 相手に対する配慮・思いやりのことを、孔子は「恕」といいました。
 人前で、暑い・寒いと言わない、疲れたなどと泣き言を言わない、弱音をはかないことなども周りへの気遣いの一つ。そのような言葉を飲み込み、極力外に発しないよう心がけるだけでも、何か懐が深くなっていくようです。

 相手に好かれるということは、その人の持つ元気・朗らかさが相手を包み込み、何ともいえない優雅な場を醸し出すからでしょう。

 吉田松陰は、孟子の「浩然の気」の大切さを訓えています。それは、天地に恥じることのない公明正大な精神、おおらかで伸び伸びとした気持ですが、いつも朗らかに活力が漲っていることに通じます。

 安岡正篤は、『論語の活学』において「人物たるにまず一番根本的に備わっておらなければならぬものは、気力つまり身心一貫した生命力であります。これは、ことにあたっての忍耐力・実行力で潜在エネルギーとしての、真の創造力です。『孟子』にある名高い“浩然の気”“われよくわが
浩然の気を養う”という、あれがこの気力というものを知る良い言葉である」と述べています。

 いつも明朗快活であろうとすることは、人生の目標とすべきあり方でありましょう。しかし、できそうで出来ないことのひとつです。
 スマイルズは、その著『向上心』においてこう述べています。

 「活力溢れた人格は常に他人に活力を呼び覚ます力をもっている。いわゆる共感をよぶのだ。エネルギッシュな人のところにはいつしか人が集まってくる。電流のようなものが彼の全身からほとばしりでて周囲の人に伝わり、火花を散らさせる」

 私たちは、どんな境遇においても、宇宙の大きなドラマの端役を演じているのです。順境の人も、逆境の人も、その場面場面に応じて、いつも活力の漲った役柄を演じていきましょう。そういう役柄なのです。

 いつも自らの意志でそう仕向けていれば、性格の一部になるかもしれません。

 人間は、気力を持った習慣の動物でもあります。