「人に好かれる法百ケ条」第四十二条をお送りします。
第四十二条 裏表のない人
やる事に、その人としてのリズムをきちんと持っていて、周囲の状況で、あれこれと調子を変えていかない人は美しい。行き当たりばったりでまるっきり違った人間の様な振る舞いをするのは、当人としては大いに人によく思われようとしての技巧らしいけれども、これは直ぐばれる事だ。
調子の外れた音楽がきかれない様に、人間の行為も個性を中心に自然と出てくる調子がないと見苦しい。だから信用することが出来ないのだ。
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動かない人は、「あの人は冷静で、いつも泰然として悠揚迫らぬ人物だ」と誉められる反面、「どうも頑固で融通が利かない。動かないのは判ってないのだ」と非難されます。逆に動く人は、「あの人は、何事も機転が利き、臨機応変に対処するタイプだ。頭が良くて、鋭敏なのですぐ判ってくれる」と誉められる反面、「彼は、軽い。すぐ行動に移すのはいいが、状況をあまり見極めないで突っ走るものだから、間違った方向に行き、問題を起こして困る。またいつもやりすぎるか中途半端だ」などと非難される。
動と静では割り切れず、どっちがいいかはその時々でことなります。いずれも案件や状況次第で対処すべきでありましょう。そのとらえ方に常識やバランス感覚や、機を見るに敏なる判断力などが含まれてくるのでしょう。
呂新吾は
「深沈厚重なるはこれ第一等の資質。
磊落豪雄なるはこれ第二等の資質。
聡明才弁なるはこれ第三等の資質」 (『呻吟語』)
とどっしり落着いて深みのある人物が望ましいとしています。第一等とは、おそらく、西郷隆盛のような人物を指すのでしょう。
一方、孔子は「訥言敏行=言は訥にして行いは敏ならんと欲す=言うことは訥々でもいいのだ。俊敏に行動せよと訓えています。また、「窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通ず」(『易経』)と何か膠着状態を打開するにはとにかく変化せよと鼓舞してくれます。
逆に、
「人、得意の時は則ち言語多く、逆意の 時は則ち声色を動かす。皆養の足らざ るを見る」
と、一般に人は、得意の時は言葉数が多く、失意の時は音声顔色を動揺させて落着きがない。こういうことは皆修養が足りないことを表すものである」『言志四録』
とあり、反省すべきこと多しであります。
しかし、同じ『言志四録』に、人を見抜く時や自省の時に役立つ言葉があります。
「“しつこい”のは、“信念の固い”のに似ている。“軽はずみ”なのは“すばしっこい”のに似ている。“口数が多い”のは“物知り”に似ている。“うわすべりで軽薄”なのは“才智がすぐれている”のに似ている。このように他人の似て非なる行動を視て、自分を反省するがよい」
刻々変わる事態の本質を見分け、時には人よりも俊敏に動き、時にはじっと時勢を待ち凛然として動かないような人物を目指しましょう。
「他人が自分を騙していることを知ったとしても、言葉に出さず、他人が自分をばかにしているような場合でも、顔色を変えたりしない。このような態度の中に、言い尽くせない深い意味があり、また計り知れないはたらきがある」(『菜根譚』)