二十一世紀を担う幼児教育
・・・『わが子』にはまず『親』が・・・

 「三つ子の魂百まで」という。モーツアルトのような音楽家からタイガーウッズのようなスポーツ選手まで、三、四歳から才能を開花した実例は多い。

 時々、二人の孫娘と遊ぶ。よく観察すると、幼児には驚くべき才能・潜在能力が既に備わっていることが分かる。例えば、記憶力だ。スポンジのように単語を吸収し、難しい表現でも丸ごと身につける。大人の会話スピードにも苦もなくついてくる。ひそひそ話も“ちゃーん”と理解しているから怖い。そうして複雑な日本語をいとも簡単にマスターする。さらに、「怒られそうだ」と察すると目をそらす。何か気まずそうなしぐさもする。「なぞなぞ」や「尻とり」、「神経衰弱」などは大人もたじたじだ。
 ところが、悪いことをした時にきちんとしからないと、何度でも同じことをする。躾も同様。はしの握り方、敬語の使い方など教えなければ出来ないのは当然だ。   
 教育とは、「教え」、「育む」こと。もっとも頭の柔らかい幼児期に基本的な知識や道徳を、親や教師が集中的に「教え」、「詰め込む」ことが必要。そして愛情をもって「育む」のである。誤った「ゆとり教育」に惑わされてはならない。知育偏重是正という大義名分のために「知育」はおろか「徳育」も置いてきた。その結果、学力低下をもたらし、指導力不足や猥褻な教師の増加に至っては嘆かわしい限りである。

 幼児教育の根本は、親による家庭教育だ。文部科学省が、児童虐待の深刻化や少年犯罪の凶悪化を受け、四月から、将来親になる高校生対象の子育て講座を新設し、保護者向け講座を倍増するなど「子育て学習」に本格的に乗り出すことは喜ばしい。
 作詞家阿久悠氏は、昨年七月二十二日付「正論」で“子供が壊れるということは、日本人が壊れるということ、日本人が壊れるということは、この日本が壊れてしまうこと”と喝破した。
 
 『わが子』は『親』が凛とした志をもって真剣に教育しよう。その子供たちは、必ずや立派な大人となって、二十一世紀の日本を担い、日本の文化・経済を成長発展させるであろう。