【産経新聞神奈川版】連載No.7)
カタールとイラク
指導者のリーダーシップで明暗
昭和五十二年七月七日、私は中東・カタール行きの機上にいた。四半世紀前のことだ。神戸製鋼と同国政府との合弁事業「カタール製鉄プロジェクト」の建設操業に従事するためであった。
カタールは、平成五年のサッカー・ワールドカップ(W杯)予選の際の「ドーハ(首都)の悲劇」で一躍有名になったが、当時はまだほとんど知られてなかった。「イスラムの厳しい戒律と灼熱地獄」というイメージで、周りからも同情され「とにかく生きて帰ってこい」と出兵するかのように見送られた記憶がある。
赴任当時は、水道なし電気なしの状態。水はタンカーで運び、電気は自家発電という苦労もあったが、元英国の保護領で英語も通じ、比較的住みやすい穏健なイスラム国家であった。幸いお酒も外国人だけは自宅で飲むことができた。
同国は、世界的規模の石油・天然ガス埋蔵量を誇り、当時から日本のエネルギー供給基地としても重要な国であった。昭和四十七年独立以来、天然資源を利用して先進諸国の技術を導入、あるいは合弁事業によって、いち早く製鉄、石油化学などの産業の重工業化を目指した。その結果、国力の大幅向上が図られ国民生活が豊かになるなどその発展は目覚しいものがある。
最近では、国営アルジャジーラがアルカイーダの情報を独占的に配信したり、アラブ湾岸諸国会議においても主導的な役割を担ったりするなど、国際的にも重要な地位を占めるようになった。
カタールのことを思い出したのは、同じイスラム国家のイラクの動向に世界が注視しているからだ。いつイラクに武力行使するのか、今後の成り行きは予断を許さない状況である。
そのイラクだが、発展を遂げたカタールとは対照的である。石油というその“無限”の天然資源を軍事拡大や特権階級に費やしてきたため、経済は発展せず、国民生活は疲弊の一途である。
国の大切な経営資源を国民のために使ったのか、あるいは独裁のために使ったのかー、端的にいえば、一国の指導者のリーダーシップで明暗を分けるわけである。