【産経新聞連載第5回】
   
阪神大震災と供給責任
・・・最小限の遅れで生産再開 


電話に起こされた。「すぐテレビをつけろ。関西が地震で大変だ。たしか大学生の息子さんがいたよね」。寝ぼけ眼でテレビをつけて仰天した。「えっ!生田神社がつぶれてるぞ。高速道路も倒壊だ!死傷者数千人?神戸本社や工場はどうなったか?」

 阪神大震災から八年がたった十七日。改めて犠牲者のご冥福を心よりお祈りするとともに、各地で行われた慰霊祭のニュースを見ながら、神戸製鋼デュッセルドルフ事務所長だった当時のことを思い出した。
 
 神奈川最大手の自動ドア販売会社「神奈川ナブコ」(横浜市)のドイツ企業視察に同行、滞在していたミュンヘン市内のホテルで震災を知った。朝六時、同行していた同社の社長で現在の原信義会長からの電話だった。
 現地の六時といえば日本では昼の二時。地震発生から八時間以上たっている。東京本社からの情報では、本社ビルもつぶれ、神戸製鉄所が大被害を被っているという。神戸製鋼関連会社の自動ドアメーカー「ナブコ」の本社なども心配だ。
 西宮に住む二男に電話したところ、奇跡的に一発でつながり無事が確認できほっとした。

 一刻も早く事務所に戻ろうとベンツに飛び乗りデュッセルドルフまで六百キロ、新幹線並みのスピードでアウトバーン(高速道路)を突っ走り、夜には帰りついた。深夜はテレビで刻々明らかになる状況を把握するとともに、東京本社から指示を仰ぐ。そのやりとりは夜通し続いた。

 神戸製鉄所は主に自動車エンジンのシリンダーバネやスプリングなどに加工される超高級線材の製造では世界一の工場で、欧州有数のバネメーカーに供給している。
 それがストップすると自動車生産が不可能になる。「供給責任」という言葉が頭をよぎる。翌日以降、バネメーカーやベンツ・BMWなどの自動車メーカー、さらには在欧日本人特派員や現地ジャーナリストとの対応に多忙を極めた。
 その後、神戸製鉄所は日夜にわたる必死の復旧作業により、短期間で生産を開始、最小限の遅れで供給責任を果たすことができた。顧客にも喜ばれ、安心したが当時、対応いかんで企業の姿勢が問われかねなかった。「企業危機対応の実践」であったし、企業の責任というものを考えさせられた出来事でもあった。