平成九年六月末、私たち夫婦はドイツから帰国、成田空港から列車を乗り継いで、東急田園都市線藤が丘駅に降り立った。大きなスーツケースを二個転がしながら、駅前の大通りを歩きカルチャーセンターや東急ストアを右に見ながら、坂を上ったところの小さなマンションにたどり着いた。そこがこれから住む社宅だったが、3LDKはとても狭く感じた。それまでの三年半、神戸製鋼デュッセルドルフ事務所長としてドイツに駐在している間、二百平方メートルほどのマンションに二人で住んでいたからだ。しかし「ここは日本だ」と気を取り直し、スーツケースを開けた。
こうして神奈川県民になったわけだが、実は昭和四十八年に神戸から東京に転勤してきて横浜市磯子区洋光台に住んだことがある。当時は駅を中心にようやく開けてきたころであった。先週末、付近をドライブして変貌(へんぼう)しているのに少なからず驚いた。小さかったイチョウ並木も美しく育ち、かつての新興住宅地は活気のあるすてきな町並みになっていた。ただ寂しかったのは家族で住んだ社宅が駐車場に変わっていたことだ。そういえば二十五年ぶりなのだ。
二十五年といえば横田めぐみさんが拉致されてから過ぎた年月に相当する。当時六歳と四歳だった息子たちはいまや成人になっている。めぐみさんと息子たちの成長を重ね合わせ、この歳月の重さを実感した。
歳月は町並みを変える。それは経済活動のなせる技であろうし、その経済はまた人も変え、人はまた経済を動かす。ドイツから帰国して一年後に藤が丘にマンションを購入した。春から夏にかけて近くのケヤキ並木に緑の新鮮な葉がいっせいに茂り、秋になれば紅葉してこの時期に散る。その光景は美しかったデュッセルドルフの町並みを思いださせ、いつも心を和ませてくれる。生きるということはとりもなおさず、何らかの形で経済とかかわることだ。この町とともに生き続けていきたいと思う。