30代の初め、神戸製鋼に勤務していた私は、中東のカタールに製鉄所を建設するため首都ドーハに2年間住み、イスラム教に浸りました。アラブの人は、約束の後や別れ際に必ず「インシャラー」(神の思し召しがあれば)と付け加えます。つまり、どんな約束も守れるかどうか判らないことを前提に約束しているのです。アラブ人はいい加減だという人もいますが、日中五十℃を越すような厳しい酷暑の中東に住めば、何ごとも自分の意志だけではどうにもならないことが、肌身で判ります。たとえ隣町の友だちに会う約束があっても、突然砂嵐が来たり、急にらくだが病気になれば行けないのですから。

 それは現代社会でも同じ、約束はいくつかの前提条件が揃ってこそ守ることができるのです。したがい、いつもそれらのバランスを考えて言動している人がきちんと約束を果せる人になるのでしょう。

 ナポレオンでさえ「約束を守る最上の手段は決して約束をしないことである」とすべての約束は守れないと諦めているのです。

 破られる確率が一番高い約束は恋愛の約束でしょう。「好きだ」「愛してる」という言葉は、口から出た瞬間から宙を舞っています。といって、前に「いついつまでは」とくっつけると興ざめですが・・・。

 時には、度胸やその場の勢いでしてしまう約束もあります。あるいはできないとわかっていても、過去のいきさつやその場の雰囲気から約束せざるを得ないこともあるのです。

 絶対に守れる約束しかしない人がいいのか?、努力目標でも約束してあげる人がいいのか? なかなか難しい問題ですが、後者の度合いが強い人ほど、人間味のある人のように感じます。ただし、その場合には、守れる度合いをことばで表しておくと親切です。

「とにかく、努力はしてみます・・・」

 「あまり期待しないで待っててね」

 「ま、運がよければ・・・」

 「まあ、7、8割は大丈夫ですけど・・・」

 「かなり難しいとは思いますど・・・」

 「私も幸運を祈るばかりです・・・」

 「相手の方がどういわれますか・・・それ次第ですね・・・」」等です。

 14世紀に生きた兼好も「人の志を頼むべからず。必ず変ず。約をも頼むべからず。信あること少なし」(『徒然草』)と言い、「人の厚意もあてにしてはいけない。人の気持ちは必ず変わるものだ。約束もあてにしてはいけない。信義が守られることは少ない」と諦めているようです。

 だから、小さな約束でもきちんと守る人は珠玉の人なのです。

  軽く約束、軽く破る・・・だから嫌われる