第一条 約束を守れ

 どんな小さな約束でも片っぱしから守る人、これほど気持ちのよい人はいない。それだけに守れる約束をしなければ駄目だ。やさしい様でむづかしい。と同時に困難の多い約束をきちんと果してみせる事、しかも重苦しくなく楽々と果す事、恩にきせない淡々たる態度で約束すれば必ず果す人、しかもはじめの約束より実の入った果し方をする人、見事な人である

 コペルニクスは「太陽は宇宙の中心であって不動であり、太陽の運動と見えるものはすべて実は地球の運動である」(『天体の回転について』)ことを発見しました。

宇宙の約束事は、地球は太陽の周りを回り、かつ自転し、太陽は東から昇り、西へ沈むことなどの自然現象です。毎日の生活は、ある自然の約束の下に成り立っています。まずはこの自然が果してくれる約束への感謝の念が必要です。

ところが、自然と言っても、空気があること・草木があることなどは地域によっては大きく異なります。また、自然はいつもその約束を守ってくれるわけではありません。最大の約束破りは、お天気ですね。

 私たちの日常生活は、人間として社会的に生きていく上での約束事で成り立っています。その約束といってもピンからキリまであります。家族間の約束や友人間・異性間の約束、会社内での約束から会社間の約束、個人と国家あるいは国家間の約束など、私たちは実にさまざまな約束をしつつ、それを互いに守ることによって毎日を生きているといってもいいでしょう。つまり、社会は約束事で成り立っているのです。

約束の相手もいろいろですが、その種類や軽重となるともっとバラエティに富んでいます。それらの約束を片っぱしから守っていくことが人に好かれる第一条とすれば、守れる約束だけをすればいいことになります。しかし、これがなかなかむづかしい。なぜなら、約束を守ろうとしても、自分でコントロールできることと、コントロールできないことがあるからです。そのバランスで前者が多ければ約束を守る確率は上がり、後者が多ければ下がることは必然です。もちろん、自分でコントロールできることも守れないようなことでは、お話になりません。

約束を守る確率を上げるには、前もってよく計算することが大切です。

といっても算数ではなく、双方を天秤に掛けるのです。 

近年、不祥事や事件に際して「Compliance 法令順守」の重要性が叫ばれますが、法律を守るのは国民としての最低のルールであり、「これさえ守ればいい」というのは、人間としては恥ずかしいことです。ドイツの社会学者ジンメルもそんな人間は「倫理的異常者」と断じます。守るべきは、本来の人間としての「道徳」であり、「倫理」です。新渡戸稲造も「武士道は成文法ではない。(不言不文の)“道徳の掟”で実行を強く求める力があり、武士の心に刻まれている律法である」(『武士道』)とその崇高さを誇るのです。

コンプライアンスは、我が国では「倫理(道徳)・法令順守」と訳すべきです。法令を守るのは国民としての義務、倫理道徳を守るのは人間としての義務です。私たちはこれを「いかに上回るか」を競って誇り、「倫理的正常者」の増加を図るべきです。それによって徳や品格の高揚を促し、本来の日本人の心を取り戻したいものです。

 山見博康