すべての者が限りなく求めて止まないもの、それは生きる悦びである。何かの生きがいを、悦びを求めて人生をさまよう。これがありのままの人の姿なのである。金も力も地位も名誉もすべて、生きがいを、悦びを得るための備えに過ぎない。どのような思想も
信仰も。はたまた芸術も、科学も、政治もこの線を外れてあるということはない。またあってはならないのだ。
だが理論と実際は常に一致しがたく、こと志にそわぬ矛盾の中でわれわれは苦しむ。知識も才能も富も地位もみな、われわれの生活を悦びにつなぐ導火線でなくてはならない。
しかるに、われわれは地位や才能をもって不幸を招き、知識や財産でもって苦悩に引きかえる。何かそこに錯誤がある。その錯誤矛盾を解決するもの、それは真の教養である。
教養とは単なる物知りでもなければ程度の高い教育と言うことでもない。真の教養とはいかなる条件の中にあっても、自己の尊厳をくずさず相手の立場を理解してこれに善処し得る能力である。この能力あってはじめて、一切のものを生かし、相互に生活を豊かにし、生きる悦びを享受し得るのである」池田敏子(山見博康『だから嫌われる』)
教養は学歴ではない。本来誰でも持てるものだ。いかなる場合にも、自己の尊厳を崩さず物事を善処できること! これが理想である。
今年は、真の教養を少しでも身につけるべく、日々身辺で発生する多種多様な事象に対処し、そのための精進をする所存である。