世の中には見栄のためでのなければ、欲のためでもなく、唯々その時の感傷で(自分の心を痛め、たまらなくなって)身に余る親切をする人がある。
これは非常に美しい行為だと誰でも思う。ところがこういう親切は丁度親の物を盗み出して人に施すような人で、結局は自分も人に迷惑をかける人である。
多くは自分の血と汗で働いた金だけで生活している人でなく、何か、誰かの力で生活している人だ。こういう人とは本当には手が握れない。
親切とは、自分の気持ちの納得に過ぎないことが普通と思っていると間違いが少ない。真の親切とは何かはとても難しい。通常、親切をしようと思うときの自分の心情を胸に手を当てて、いや聴診器でないと聞こえない心奥の声を聴けば、
どういうであろうか? 相手の弱みに同情し、それに何らかの手心を加えようとする行為は、その親切で、相手に少しでも良く思われて後で自分が何らかの形で有利になるであろうことを期待している自分に気づくであろう。
問題はそれが叶わなかった時、それが普通であるが、むしろ損した気分になり何だあいつはあれだけしてやったのに、礼儀を知らん! とか、不親切だ!とか妙なことになる。お返しというのがそれだ。お返しを期待していないが、しなければ礼儀を知らんとなるので、半分返しとかをやる。
おかしなことだ。