第一回 広報の本質と危機対応とはどんな関係にあるのですか?

 人も会社もハダカで生まれます。子供(ベンチャー)の頃から適切な躾を受けて成長すると、立派な人間・会社になります。立派な人や会社は、問題を起こす確率は低くなります。しかし、犬も棒にあたる、人も歩けば石に躓くように、日々何が起こるか判りませんが、たとえ起こしたとしても小さく、その解決は比較的たやすいものです。そこで最大の危機対応とは、立派な人や会社になることです。

自分が社員として何かミスをした時どんな対応をとるでしょうか? 素直に自分の過ちを認め、直ちに上司に全て話すのか、明日か明後日にするのか、或いは言わないのか?色んな対応を考えるものです。どのような対応を考え行動するかは、人間のあり方、会社としてのあり方なのです。

一方、人は毎朝お化粧し服装を整えます。それは何のためでしょうか? それは結局、他人に少しでもよく見せたいためでしょう。営業が顧客に行う商品説明でも少しでも良く見せようと言葉を考え、態度を良くし、書類を飾るものです。それも一つの化粧。それをどの位厚くするのか? それは、あるべき自分、ありたい自分、或いは自分のビジョンに沿って対応するのです。その根底には倫理観や道徳観、つまり人間性があります。

お化粧をどこまでするかを日々考え、実行するのが、広告となり、プレスリリースつまり広報対応になるのです。どこまで適切にどのような表現で見せるか? それが過度になれば、つまり厚化粧が過ぎれば誇大広告になり、飾りすぎのプレスリリースになります。これを考えるのが広報の仕事です。

ドイツの哲学者シュペンハウエルが「最も心すべきは、自分に備わっている以上の精神を示そうとして、見えすいた努力をしないことであろう」と言っていますが、過度の言葉や表現などをどこまで適切に化粧するかに、夫々の会社の広報の本質が露呈するのです。

その化粧は指で行うのですが、それは指が勝手にしているのではなく、脳が指令しています。逆に指先の情報に基づいて脳が判断し、更に指令します。つまり、人間は、情報で生きているのです。会社も同じ。トップは脳、社員は指先。トップの考えが正しければ社員も正しく行動します。各関節には管理職が陣取る。人は情報を血液や神経で交通させ、会社は組織・やはり情報で生きているのです。

そこで、「広報とは、ビジョン実現に向けて、内外への適切な情報交通(コミュニケーション)で会社を(つかさど)ること、そして真の会社になること、これが本質であり、これを会社で促進させるのが、本来の広報の仕事であることを肝に銘じて下さい。

 「顔」が広報。見えない情報をも見ようとし、聞こえない情報をも聴き、微かな臭いでも嗅ぐ。脳の指令の内、外部へ言うべきことを口で発し、内部へは組織ルートで伝達する。

そこで、第一義的に、“To be goodいかに善くあるべきか!”を考え、次に“To do goodいかに善く行うべきか!”を行う。この順序を間違えてはなりません。「広報は経営を司ること」。さもなくば脳死壊死します。

危機対応をメディア対応との勘違いこそ企業を危うくするもの。事件・事故・不祥事において、「初期の危機管理が悪かったから・・・」という言葉こそ本質が解っていない者の言い草。危機に臨んで小手先の巧みさで切り抜けようとすることが致命傷になる。ある問題を起こした人物が、最初に立派な対応がとれますか? 当初言い訳で巧く逃げようとする人物が、その束の間に必ずや土下座せんばかりの謝罪に追われるは至極当然。そんな人物はすぐ見抜かれ、長く尊敬されるはずはありません。

いかなる危機においても、誠実な態度・真実の言葉・言動一貫の姿勢で対応し、事態を善処すること! 会社もトップの情報で日々を正しく生きるのです。その為には日頃から“真の会社=真人間”になる以外にはありません。