人間は酒を呑んだ時、勝負事をしている時、ぎりぎりいっぱいの土壇場に臨んだ時、必ずその本音を出す。大切なのはこう言う時だ。だから人の本音もこの時わかる。きたないか、意気地がないか、知恵があるか、度胸があるか、一度にわかる。人のつつしみも、育ちも、こういう時にみな出てくるものだ。人は何時でも人生の試験場で試され通しであるが、一寸油断したり、気が緩んだり、自分を忘れたりする時に本音を出してしまう。
運動の試合でもここという時に力を発揮する勝負強い選手も居れば、相手が弱い時には素晴らしいプレーをする選手でも、拮抗した試合や相手が少し強くなったら、勝負時にミスしたり、普段入るシュートを決めきれなかったりする選手もいる。私はバスケットボール選手だが、どちらもあった。ということはどんな選手といえるのであろうか?
5月5日は、長嶋、松井両氏の国民栄誉賞授賞式だが、このお二人の勝負強さは本物であることに意義ある人はなかろう。万人に称えられるお二人だ。とは言え勝負弱い選手を否定する必要もなかろう。それぞれ人間には役割があるもの。そんな選手もその役割を立派に果たしているのである。
「人間の中にある才能はとれも、それぞれの木と同じで、めいめい固有の特色と効用を持っている」((ラ・ロシュフコー『箴言集』岩波文庫)という言葉に私はどれ程助けられたか!特に失敗した時、落ち込んでいる時、自信を失った時・・・。自分は自分なのである。自分しか出来ないことをやろう。独自独特独創=三つの独を生きようと覚悟するのもこの言葉の実践でもある。