亀高社長との思い出で忘れてはならないのは「ラグビー」。エピソードも多いが、1985年来豪時、駐在員との懇親会にてどこかに長い国際電話。その相手は、実は大学ラグビーの大物選手でだった由。また、シドニーでの夕食時に、豪州代表ウイング、イアン・ウイリアムス選手が参加したのも懐かしい思い出だ。

 私が帰国した89年、平尾誠二主将(現総監督)率いるスティーラーズが日本選手権初優勝を飾った。1991年3連覇目の決勝三洋電機(現パナソニック)戦では、かのウイリアムス選手が、ロスタイムのラストプレーで、平尾選手のパスを受け50m独走トライし大逆転優勝の立役者となったことは、日本のラグビー史にいつまでも刻まれるプレーであろう。私はラグビー部の広報を含めて陰の支援者でもあった。時には、選手へ栄養補給を行ったり、特命を受けて外人選手やその夫人の相談に乗ったり・・・。そして新日鐵釜石と並ぶ7連覇を達成したのであるがいずれも鉄鋼メーカーというのも誇らしい。また次長・部長として5連覇迄見届けることができたのは幸運であった。

その後私は独立するなど暫くご無沙汰していたが、2008 82歳で北里大学 大学院 薬学博士 号取得!」との新聞報道に“流石!”と感銘を受けると共に改めて敬愛の念を強めたものだ。

これからも何かにつけて思い起こし、「猛々しくあれ」「向う傷を負え」等々の訓えに勇気づけられない日はないであろう。天国にていつまでも厳しくそして優しく見守って頂いていると信じ、安らかなるご冥福を心より祈りたい。

 「真砂なす数なき星のその中に 吾に向かひて光る星あり」(子規)


(終)