この未曾有の大震災に対し亀高対策本部長の陣頭指揮の下、4月奇跡的な早さで高炉に火入れ、稼働を開始した。お陰で顧客対応が容易になったことは言うまでもない。トップから現場まで一丸となった危機対応力に感銘を受け、その後「NHKスペシャル」にて放映された感動的復興物語に誇らしい気持ちを抱いたものだ

 1996年ヘルシンキにおけるIISIの為、亀高社長ミッションに同行したことも懐かしい思い出の一つだ。ロンドン事務所での下打ち合わせから合流、1週間位日々深夜まで薫陶を受ける機会を得た。広報の仕事に加え、世界のエグゼクティブとの交流についても実地に教わったことは普段学べない貴重な経験となった。

 1997年私は、帰国にあたりスーパーカー商業化ベンチャー企業への出向希望が了承されたが、神鋼のそんな寛容さや懐の深さにも感謝したい。

 そして55歳で早期退職。2年後の2002年広報・危機対応コンサルタントとして山見インテグレーター(株)を設立。現在はコンサルティングの他、広報や危機対応に関するセミナー講師や執筆などにより生業を立てている。著作も、この4月に上梓予定の『企業不祥事・危機対応広報完全マニュアル』(自由国民社)を含め広報専門書を中心に、現在16冊目を執筆中である。こうして細々ながら仕事を続けられるのも、係長から部長まで20年近く亀高社長の下で直々に学べたお陰である。(続く)
山見博康(バリューインテグレーター)のブログ【善言励言】