誰でも骨折損のくたびれ儲けをやる。そして後悔する。早くあきらめればよかったと。しかし、諦めが遅いというのは、実は自惚れが強いからなのだ。自分の力を買いかぶったり、世間のおだてに乗って有頂天になったりするお人よしは年がら年中、下らない事に骨折って、人には笑われ、儲けはくたびればかりと言う事になる。

 自惚れは誰にもあって死ななきゃ治らない病気だが、その妙薬は自分を知るということだ。

 しかし、自惚れが悪いという訳ではない。むしろ自惚れは上昇、成功、飛躍に不可欠なものであろう。

自惚れは、言い換えれば、自尊心である。自尊心のない、或いは少ない人間は、自信がない。自信のない人間は信用されないとも言えよう。それは責任感の別の言い方にもなる。


 自惚れは過ぎると、鼻持ちならないが、自惚れる事は、自分を高める源、弾み車となる。適度ないや過剰気味に自己愛を発揮して、こんな自分ではない、このくらいでは終われない、もっと高きを目指そう・・・と思う所に成長が待っている。自分でも思ってもいない結果が得られることになる。

 自分はこの位だと達観した途端、諦観に変る。それは凡人には成長への諦めとしかならないと思う。


「人間は他が何と言っても、自分丈安心してエライという所を把持して行かなければ安心も宗教も哲学も文学もあったものではない」 (夏目漱石『書簡』)


「自らを尊しと思わぬものは奴隷なり」(夏目漱石『断片』)

「決して人に欺されないことを信条にする自尊心は、十重二十重の垣を身のまわりにめぐらす」(三島由紀夫『友情と考証』)