一人の人間のやり口と言うものは、大体決まった型が出来てくるものだ。

「あゝ、あいつのやりそうな事さ」と言う具合である。こう世間から決めてかかられたら、おしまいである。一事が万事とはいかない人間にならなければならない。「こんな場合あいつはどう出るかわからない・・・」これ位の含みのある人間にならなければうまく世渡りは出来ない。

 人に呑まれてしまっては、自由が利かない。


 悪い烙印を押されてはならない。それが評判となれば、名声などできるわけがない。逆に良い烙印はなかなか消えないものだ。それが名声まで高まると絶大な信用につながっていくのである。


 しかし、幸田露伴は

    人を信じるのは難苦である。

    人を信ぜんとすれば、智識がこれを裏切する。

    自利の念が裏切する。

    経験が裏切する」            (『修省論』)


と警告している。


 三島由紀夫も

    この世には人間の信頼にまさる化物はないのだ。 (『鹿鳴館』)


とその良悪を示唆している。