一度目はおやっと思う。二度目はそうらしいと見当をつける。三度目にやっぱりそうだ、ということになる。これは人間の思考の順序なのだ。先ず疑ってみる。次に推理する。その反応で決定する。即ち、疑惑ー推理ー決定というわけだ。
いつも世間はこういう純情で自分を見つめているのだなと勘づかなくてはならない。試されるのは三度だけと心得るべし。同じ失敗を三度以上繰り返せば、失敗の時に世間から決めつけられる。
世界に惜しまれてこの世を去った現代の偉人スティーブ・ジョブスは、3つですべてをまとめてプレゼンを仕切っていたが、考えるプロセスもそうだ。
失敗を学問にまで高めたのは畑村洋太郎氏であるが、失敗は成功の素であり、成功は99%の努力の結晶でもある。失敗は無為に勝る。失敗しない人は決して成功はないと言ってよい。
「失敗は成功よりも美しく、又更に成功よりも教訓と力に富めり」と失敗を繰り返した石川啄木が「古酒新酒」に記している。若い時の失敗にいかようにしても浮かび上がることができるのだ。
「志遂ぐれば俊士となり
計(はかりごと)躓(つまず)けば囚奴となる
俗子議し難し
成敗(せいばい)もて丈夫を論ず」(吉田松陰)
これは、1854年松陰は、下田沖の米艦に乗船して密航しようとしたが失敗して、江戸小伝馬町の牢に下獄。後、萩の野山獄に転送された。この詩は江戸から萩への転送中に詠んだ十七詩の一つ。成功か失敗(株)の結果によって丈夫(勇ましく優れた勇士)を論じようとする属人とはともに語り難い、とする憤り述べているのである。
「エイ!なるようになれ!」と清水の舞台から飛び降りてみよう。その勇気をいつまでも忘れないでおくのだ。すると年とっても若さが保てる。
挑戦、実行することに崇高な意義を見出そう。
【山見博康】