単純なお嬢様は忙しいお手伝いさん(女性)に同情して、「一寸手伝いましょうね」と後片付けに手を出す。するとそのお手伝いさんは内心どんな風に思うだろうか?
「お嬢様、お気遣いいただきありがとうございます。お言葉に甘えてここのところをお願いできると助かります・・・」などと、もし、素直な人間ならば、お嬢様に感謝するだろう。
しかし、「馬鹿にしてる、大した事も出来ないで、当てつけがましいにもほどがある。何も人に手伝ってもらわなくても、私は立派にできるのだ」とふくれてしまうかも知れない。ところが、老練な主婦であれば、「よくまあこれだけの仕事を一人でやれるものね。感心だねえ」と誉める、おだてる。ひねくれた勝気者にはこう言う言葉の方が効き目がある。
よく
邪気なく、功利なく、見栄でなく、又皮肉でなく、真から人の長所をほめることの
できる人、これはなかなかできないことである。悪くすればお世辞を邪推される
こともあり、何かの含みかと取られることもある。見当ちがいのほめ方をすれば
頭が悪いと馬鹿にされよう。何事にもこだわらず真情を以って人をほめる事の
できる人は、すぐれた人である。 確かな人に、地味なほめ方をされて気を悪く
する人はない。
アリストテレスの愛弟子テオプラストスが「お愛想とは、真から相手のためを
思う心もないのに、巧みに相手を喜ばせてしまうような付き合い方である」と
戒め、自分が気に入られると見なすことならなんであれ、口にもすれば行い
もするようなへつらい人間になるなという。
賞賛と世辞は紙一重。まずもって身につけるべきことは、褒めることを見出す、
気がつく能力である。誉められる方がいいが、だれにどのように誉められるかも
大切。人は自分の都合のいい人を、都合のいい時に、都合のいいようにほめるもの
だ。ほとんどの場合は、自分のために、自分が利益あるように、自分とそのまわり
がよくなるように、誉めていると思ってもいい。本能的にそのいやらしさを感
じる感性はだれにでも具わっているもの、決して見逃されることはない。
誉めてくれる人が高ければ高いほどありがたい。とくに、尊敬する人からのお誉め
のことばに飾りは不要。ただ「よかったね」といわれるだけで心が天を駆けめぐる。
ただ、よからぬ人から誉められることには要注意。「ほめ殺し」ということばも
あるくらいだから。
佐久間象山は「誉によりて自ら怠らば、すなはち反って損せん」
(誉められても、怠慢になれば損する。逆に非難されても発奮すれば益になる)
と戒めている。
「ほめない人も、ほめすぎる人も嫌われる」
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