人が「身体を張る」必要がある時とはどんな状況でしょうか。
▽ある一事を身につけたい
▽ある一事を成就する
▽ある人を護る
▽ある事を秘す(守る)
▽自分に危険が身に迫っている
▽(愛する)人に危険が迫っている
覚悟の上の身体を張らなければ、何事も成就せず、一つも身につけることは覚束ないものです。
現在超一流と言われる各界のトップも、元を辿れば3-4歳の頃からの弛まぬしかも超人的な努力の継続の賜であることは、時折の新聞やテレビでの特別企画や著作から判るものです。
大リーグ2000本安打+9年連続200本安打達成真近のイチローや昨日のフジサンケイクラシックで優勝した17歳石川遼選手、盲目のピアニスト辻井伸行
さんの例を挙げるまでもありません。
学問も然りです。スポーツ選手や芸術家と同じく、小さい頃から頭脳を使い鍛えてきたからこそ、その優れた頭脳が産業界に貢献しているのです。
幸田露伴は『努力論』において
「努力して努力する、それは真のよいものではない。
努力を忘れて努力する。それが真のよいものである」
と、努力の真髄を衝いています。同書一読は人生の変革を促すものです。
もう少し引用しましょう。
幸運を牽(ひ)き出す人は、掌(たなごころ)を流血させ、否運を牽き出す人は柔軟なものであるというのです。
「幸運を牽き出す人は常に自己を責め、自己の掌より紅血を滴(したた)らし、而(しこう)して堪え難き痛さを忍びて、その線を牽き動かしつつ、終に重大なる幸運の神を招き致すのである。(中略)自己の掌より紅血を滴らすか、滑沢(かったく)柔軟のもののみを握るか。この二つは、明らかに人力と運命との好否を語る所の目安である。運命のいずれかを招致せんとするものは思いを致すべきである」
努力とは身体を張ることです。これまでどれだけ真の意味で身体を張ったのか自省すること。
今日一日、何かで真の努力をしてみましょう。
【山見博康】