「転んでも唯では起きるな」というのは古くからの人生訓です。歩いている時にけつまづいて転ぶことがあります。この歩いている時という意味は、日々の生活を意味しています。或いは、会社で仕事に励んでいる時のことです。

日々の生活にも、会社での仕事でも、つまり世渡りの道には、様々な障害物が転がっています。

世渡りの道には様々な障害物が転がっていて、けつまづいたり、衝突したりは、よくあり勝ちの事、そんな時の態度でその人の将来は決まります。

大きく3つに分かれます

1.その原因を外に求める人

2.その原因を内に求める人

3.その原因を内外に求める人


1.の人は、大抵はぶつくさ言ったり、当り散らして喧嘩したりします。自分の反省よりも自分を正当化して、相手を非難することに終始します。これではただ起きるより拙い。これには何の発展性はありません。又、自分の成長に何の役に立たない場合か、害を及ぼすばかりです。


2.の人は、自分のせいにして反省し、次のためにつなげます。しかし、自分に求めることが重なってくると、次第に暗くなり、萎縮するようになります。


3.の人は、物事を客観視できる人です。外の原因を直視し、改善することは改善し、次に同じ問題がおきないように手を打つ。例えば、日常使うものであれば改良して次の商品開発に生かすことであり、仕事のやり方であればより効率的プロセスを提案して創造的改良を加えることです。

と同時に、自分の言動を直視し、その素となる心の有り方を徹底的に内省します。それによって、仕事に取り組む本質的な心にも改良を加えるのです。


人間失敗した時、絶対絶命の時、本当の知恵を悟り、真実の友、誠の味方が握れるのです。つまり、何か拾い物でもしようと言う様な狭い了見では、世渡りの達人にはなれません。唯起きてはいけないと言うのはこの事です。

転ぶことは、神様が自分に与えてくれた贈物です。試練は、将来もっと厳しい試練への練習台です。


どんな出来事にもいきなり、大喜びしたり、わめき悲しんだりしない方がいいのです。大喜びした出来事が最大の苦悩の素になったりすることは誰もが経験することです。


どんな災難に遭っても落ち着きを失わない人は、将来起こるかもしれない人生の災いや困難がいかに様々な形で現れ、いかに大がかりになってくるかを心得た人といえるのです。大小様々の災難は私達の生活の根本的な基盤をなる要素そのものだからです。これを深く認識することが、人生の達人であり、世渡りの秘訣の真髄なのです。


 「時々刻々に我々を悩ます小さな災難は、大きな災難に耐える力が幸運の 余りにすっかり衰えてしまうことがないように、我々を絶えず訓練するためにあるのだ」(ショウペンハウエル『幸福について』)


従って、運命に委ねるが、運命に負けてはならない。

1.日々の煩わしい出来事

2.人間の交際における少しの軋轢

3.取るに足りない日々の不快な事件

4.自分ではコントロールできないこと(天候など)


などは気に病んだりせず、道の小石のように敢然と突きのけなければなりません。


「運命のサイコロが断固として投じられる。この世界に生きるには、運命に対する装甲と人間に対する武装とを備えた断固たる気迫が必要である。けだし、人生はそっくりそのままが闘いである」(ショウペンハウエル)