『大辞林』には、人情とは、人に自然に備わっている人間らしい感情・情愛。 英語では、human feeling, sympathy, pity, kindness。とあります。
「人情話」とか「人情味(人間としての温かみ)溢れる人」などで使いますが、これが薄らげば薄らぐ程、野獣に戻っていることになります。人間は元、野獣というより、今も尚野獣であることを自覚すべきです。それは、周りに誰も居ない時の自分の行動を自分に聞いてみればすぐ自分で判る事です。
戦後間もない小さい頃、戦地から引き揚げてきた前の家のおじさんが、屋根裏から出てきた蛇を捕まえ、僕の目の前で皮をするりと剥き、その皮を「うまいうまい」とぺろりと食べてしまったことを思い出します。そしてその身を4-5センチに切って、七輪で焼き、「食べろ。うまいぞ」と勧めるのです。
勇気を奮って口に入れるととても甘美な味でした。初めてで最後となっていますが、蛇でも蛙でも、いや飢えれば人だって。
ベトナム戦争で逃亡を余儀なくされた日本大使夫人でさえ、人以外は何でも食べたとの告白が報道されていました。獣であることは、災害で無防備になったスーパーを、普段は善良そうに振る舞っている一般市民が略奪するシーンを見ても判ります。
それよりも「狼少年」が端的に表しています。人と生まれても狼に育てられたら狼になるだけ。最初から「人間」ではありません。人間に「人間的に」育てられて初めて人間になれることを忘れてはなりません。そこで、人としての躾、教育が不可欠です。
「人の心は花に似て、移ろひ易あさましく、
しどけなきこそ恃(たの)みなれ」(仮名草子)『ぬれぼとけ』)
とあり、人の心は移り易いが、だからこそ未来を期待できるそうです。
「世界は開花に進むほど人が薄情になるという」(河竹黙阿弥)のです。
「人情の人」「人情味厚い人」は、「富める人」「地位の高い人」よりも価値があると思います。少しでも人情を感じること、少しでも人情を施すことを一個でもいい、今日一日意識してみましょう。