勝負事の判定は難しいもの、スポーツの世界

でもいつももめています。

それが、人間の争いとなると金銭がからみ、

義理に惑わされ、人情に心を奪われて何が

勝ちなのか負けなのかが判らなくなります。

物事の評価にしても、人の評価にしても、時に

長尺で、時には短尺で測るなど、測る器具そ

のものやその測り方をも、対象によっては、

変える必要もあります。物差しと使い方に

人の本来持っている優しさ、思いやりが現れ

ることも多いものです。

 

負けること、退くことを知らない人は最後に必ず

負けるものです。賢い人は人の前では一歩退き、

誰も見ていない所で二歩前進するのです。


 人生は長距離マラソンです。短距離競走とは趣き

が違います。日々のつまらない事に勝とうと思って

はいけません。人々は案外つまらない事に勝ちた

がるもの。譲る者にはもっけの幸いなのです。


  「すべて、心に知れらむことをも知らず顔に

   もてなし、言はまほしからむことをも、一つ

   二つのふしは過ぐすべくなんあべかりける。」

           (紫式部『源氏物語』)

  (何事につけても、よく知っていることも知らぬ顔をし、

   言いたいことも、一つや二つは黙っているのがよい)


 今日一日を振り返ってみましょう。朝起きて寝る

までの間、自分の行うことや接することの中で、自

分の意思を貫く必要なあること、自分が頓着しなく

ても良いことがどの位あるのでしょうか。

まずは夫婦や友人の間で相手に決定を委ねてい

いことが多々あることに気がつきます。


●何を食べるか

●どこの映画館に入るか

●自分が多く話をするか相手の話を聞くか

●旅行をどこにするか


 会社でもそうです。世の中には相手に委ねても

いい意思も結構あるものです。さらには、意思表示

しなくてもいいものや、意思を明らかにする必要が

ない場合もたくさんあるのではないでしょうか。

 自分には重大でないが相手には重大である場合も

あるし、逆もあります。

 どちらでもいいことはできるだけ譲っておくことです。


新渡戸稲造はこのことを、


    「世を譲って渡れ」


と訓えています。

もちろん、事によっては一歩も引けない、譲れないこ

ともあります。そこは決して最後まで妥協せずに自分

を貫くことです。

案外ここぞと思う場合にはぽかんとしている事が多い

のが世の中です。そんな場合には五歩も六歩も、いや、

全精力ででも駈けていくべきです。


 私自身を振り返っても反省しきりです。七人兄弟

の末っ子でわがまま、しかも小さい頃は父の事業が

順調でゆとりある環境に育ったこともそのわがまま

を増幅させたのでしょうか。自分の好きなことには

懸命になるが、綿密さに欠けることが多かったので

す。(高校の頃会社倒産に遭遇。人生に浮沈あり)


社会人になって、6年目のころ、失敗ばかるする私

を見かねた上司が自己申告書のコメントで


 「一歩前進ニ歩後退の冷静さを身につけよ」


と注意してくれました。


 本来注意されるにしても、「二歩前進一歩後退」

と表現するのが普通でしょう。それ程、私がひど

かったという証でもあります。


 ところが、後退嫌いな私は、一計を案じました。

歩く場合には、一歩の歩幅は毎回均一である必要は

ありません。小さな歩幅もあるし、大股で歩くこと

もある。時には小走り、時にはジャンプもします。




そこで

   「歩幅を変えれば後退しない」


ことに気がついたのです。つまり


   「一歩大きく前進し、ニ歩小さく後退」


するとつねに前進できると考えたのです。


こうして、今なお失敗に懲りないのですが、こ

言はいつも「心のブレーキ」として機能しており、

失敗の軽減に大いに貢献してくれています。

そのたびに上司に感謝する自分を反省するのです。


 「物に争はず、おのれをまげて人にしたがひ、

  我が身を後にして、人を先にするにはしかず」

       (兼好『徒然草』)


 (何事につけても人と争わず自分の事を後にして、人の事を先に

  考え、人に譲るには及ばない)


              【山見博康】