どんな人生には浮き沈みあり。順風そうであっても、

どこかで逆風が吹き一筋縄では終わらないものです。

高度成長時代の常に右肩上がりの時代も終わって、

平々凡々としたサラリーマン生活も、急に会社が

かしくなって昇進も覚束ず、役職につけるチャンスを

逸し、リストラに会う等は普通の出来事。脱サラして

も出だしの好調もすぐに失速して苦難の人生が待っ

ている。


百年に一度の世界的不況と言われる昨今、ホーム

レスの急増がそれらを象徴していると言えましょう。


一流と言われる上場企業を定年退職し現役時代に

できなかった趣味に楽しみを見出したり、福祉ボラ

ンティアに新たな生きがいを見つけ充実した日々を

送る人もいます。

その反面、毎日が日曜日、昔の繰り言にわずか

楽しみを見出しつつ、退屈な覇気のない人生を送る

人もいる・・・。


 「大空の雨は分けてはそヽがねど  

       うるふ草木は己(おの)がさまざま」

                       (古歌)


こうして私達は、物や金に不自由もするし貧乏もし

ます。又心さびしくいつも飢えた様に人の心の温も

りを求めて、貧しい暮しをしているものです。

そこで一寸した人の温かい言葉にほろりとし、一寸

した親切に一生をかけてもいいと思うほど感傷的に

なるのです。


私達はそれらの人々に何時も惜しまず贈ることの

出来る、温かい言葉、優しい表情、親切な心遣いを

何時も用意しているでしょうか。


そして、その時々にその相手や状況にふさわしい

言葉や態度をもって接しているでしょうか。


時には心ある人の一言の励ましの言葉がその人を

更生させ、その後の人生に光を与えることもあり、

更には、功の基礎を作らせたりもする、と言う事を

知らなければなりません。


私もありました。三十代半ばで自信を持って仕事に

没頭していた頃、予期せぬ辞令。閑職に追われたと

思い込み、評価への失望、前途への悲観に我ながら

苦しみ、仕事への意欲も薄れかけていた時、ある先

輩が夕食に誘ってくれたのです。


その時、ご一緒に仕事した鉄鋼輸出部での面白い商

成功の武勇伝や楽しかったゴルフの話などの後、

「山見クン、人間至る処に青山ありだ!」と言われた

です。

この短い一言で、私は我に返り、意欲を取り戻した

のです。


そして結果的に思いがけず豪州への転勤も重なって、

新たな人生を切り拓くことができたと言えましょう。

それからはどんな不運がやって起きようとこの言葉が、

困難に立ち向かう勇気を与え、克服の意欲を掻き立て

てくれるのです。


与えるものが物や金だけと言う人は、逆に心の貧しさ、

教養の低さ、ひいては生き方の汚さをどこかに覗かせ

いると言ってもいいかも知れません。

  

  ひどい仕打ちを受けた人には、慰めを、

  貧しい人には、智慧を、

  落ち込む人には、自信と勇気を

  悩める人には、信念を、

  悲しむ人には、希望を、

  

逆に物や金は与えられなくとも、弱き者、目下・格下

の者に対して、自分の何気ない、


  言葉で傷つけ、

  目付きで傷つけ、

  仕草でも傷つける


ことがないように細心の注意を払うことです。


 「緊張を要しないような些細なことに、人間はかえ

  ってその性格を現すものだが、こういうときに、

  かりそめの行為やちょっとした態度に、他人をい

  ささかも顧みない底抜けの利己主義を十分にうか

  がうことができ、後に大きな問題にぶつかると、

  事実その利己主義が、仮面はかぶっていても、

  おのずから現れるものである」


    (ショウペンハウエル『幸福について』)


         【山見博康】