私は、中学1年からバスケットボールに夢中になり 今も、毎週日曜日の夜、若い人たちとボールに戯 れるのを自分の最高の喜びと楽しみにしています。 九州大学時代、旧七帝国大学戦が持ち回りで開催 され、毎年遠征していました。私の4年間は、京大、 名大、東大、東北大が当番。10日間位の大会が 終わると打ち上げコンパがあり、それぞれ余興の 出し物で大騒ぎした後、寮歌を高らかにそして 誇らしく詠うのが慣例でした。 その時、東大生は「ああ玉杯に花うけて・・・」の 一高寮歌を、そして京大生が三高寮歌を、各大 学とも昔を忍びつつ、肩を組んで歌うのです。
その三高寮歌の心に残ったフレーズが、正に この「六分の侠気四分の熱」でした。 ここに全歌詞を紹介しましょう。 なお、当時戦った7大学の選手は、もう還暦を 過ぎてはいますが、毎年集まって昔話に花を 咲かせています。そのメンバーに一人には、 名大からトヨタ自動車で活躍し、現在東京 トヨタの会長で、日本バスケットボール協会の 深津副会長もおられ、今なおバスケットボール 界隆盛に尽力されています。 また、京大出身の阿部達也さんは、日本初の プロバスケbjリーグの立ち上げに人生を賭け、 その普及に日本を駆け巡っています。
明治38年(1905年) |
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JASRAC No.072-2435-4 | ||
人を恋うる歌 |
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作詞:与謝野鉄幹 作曲:不詳 歌唱:三高寮歌 編曲・制作:滝野細道 |
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妻をめとらば才たけて みめ美わしく情ある 友を選ばば書を読みて 六分の侠気四分の熱 |
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恋の命をたずぬれば 名を惜しむかな男ゆえ 友の情けをたずぬれば 義のあるところ火をも踏む |
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名もなき旅を行くなかれ 名もなき道も説くなかれ 甲斐なきことをばなげくより ひたりてうまき酒に泣け |
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ああわれダンテの奇才なく バイロンハイネの熱なきも 石を抱きて野にうたう 芭蕉のさびをよろこばず |
●「嗚呼玉杯に花うけて(一高第十二回記念祭寮歌)」
作詞 矢野勘治 作曲 楠正一
嗚呼(ああ)玉杯に花うけて
緑酒(りょくしゅ)に月の影宿し
治安(ちあん)の夢に耽(ふけ)りたる
栄華(えいが)の巷(ちまた)低く見て
向ケ岡(むこうがおか)にそそりたつ
五寮の健児(けんじ)意気高し
芙蓉(ふよう)の雪の精をとり
芳野(よしの)の花の華(か)を奪い
清き心の益良雄(ますらお)が
剣(つるぎ)と筆とをとり持ちて
一(ひと)たび起(た)たば何事か
人生の偉業成さざらん
http://habc123.hp.infoseek.co.jp/ryouka.html
いつの時代でも変わらぬ大切なもの、
どんな苦難でも失うべきでないもの、
それは日本人の「侠気の心」です。
【山見博康】