「侠気」と言うのは一言で言えば男気(おとこぎ)

事。

『大辞林』によれば、「権勢や強者に屈せず、

者を助けて正義を行おうとする心」とあります。

「義侠心」とも言います。


英語では、gallant(ギャラン)と訳され、勇ましい、

しい女性に優しい・・・とありますが、侠気と

は少し異なるような気がします。

また、騎士道精神である勇気・礼儀・忠誠・

女性や弱に対する義侠心・敵に対する寛大と

いう意味の、chivalry(シバルリィ)にも当たります


つまり、義侠心のある男と言えば、正に武士道

に則り、強いが優しい人物でしょう。


人として少しの男気のないのは気の抜けたビ

みたいなものです。最近、この侠気という言葉

が廃れたような気がするのは残念なことです。


自分の損得を顧みず弱いもののために助け

出す人は、いつの時代でも頼もしく、待ち望

れます。

今でも、「水戸黄門」や「遠山の金さん」等の

代劇が喜ばれ、話の結末は判り切ってはいても、

拍手喝采を送るのは、誰しもその話に自分

あるべき姿、ありたい生き方を見るからに違い

ありません。


「他(ひと)をめぐみ我を忘れて物毎(ものごと)に

       じひする人を仁(じん)といふべし」

   (徳川初期の公卿、烏丸光廣)


と言って、男気の熱ばかりでは何を仕出かす

知れたものではありません。


そこで三分の男気に四分の熱意、残りの三分に

思慮がいるのです。


この三拍子が揃った人間なら、匂いも味も栄養

もバランスよく満点と言うわけで、人の中の人、

男の中の男としても魅力百パーセント、必ず人の

上に立てられることでしょう。


因みに、女気(おんなぎ)とは、内気でやさしくしと

やか男女にはそれぞれ異なる特性がある

のです。


さあ、男なら、日々一つの侠気、少しの義侠心

でも、振る舞ってみたいものです。

 

 「至る時にかたく決心せよ。

  ローマ人として男性として、

  自分が現在引き受けていることを、

  几帳面な飾り気のない威厳をもって、

  愛情をもって、

  独立と正義をもって果そうと。」


(古代ローマ皇帝マルクス・アウレーリウス『自省録』)


      【山見博康】

婦人