日々の厳しい仕事も、苦しい生活も捉えようによって、

生き方の修練、自分磨きの砥石とすると、人生への

覚悟が定まります。


なぜなら、私達は毎日毎日度胸だめしをやられて

いるようなものです。自分でも知らない間に試されて

失敗し、成功しては試されて、徐々に度胸がつい

ていくのです。


だから、場数を踏んだ人には敵わないのです。

頭のいい人がどんなに頭で考えようと、自分で

経験してみないと、実際のところは、何も解らない

からです。頭でっかち、机上の空論とはこのことです。

そこで、実施実験が不可欠なのです


自分で考え、実行し、自分で掴んだことだけが

自分のもの、それが実力の素、魂のエキスと化

のです。


若いうちの苦労は買ってでもせよと言うのはこの事

です。苦労や困難は好むと好まざるとに拘わらず、

本人の希望や期待とは無関係にやってきます。


世間からいろいろと試されるほど身のためです。

試験料も要らずにタダで試験して貰えるとは有難い

もの。これに、背を向けるか立ち向かうか、消沈す

るか奮起するか、が人生の岐路になります。


特に絶体絶命、死ぬか、生きるかの境に立った時、

これこそ人生の桧舞台! 一流役者になったつも

りでこれを乗り越えましょう。


日々襲ってくるあらゆる困難な場面は、決して自ら

仕掛けることはできません。


それは、まさに神様のお膳立て! 


この時々に、自分の実の力が現れ、真の度胸が

坐るのです。


なぜなら:


 「時々刻々にわれわれを悩ます小さな災難は、

  大きな災難に耐える力が幸運のあまりに

  すっかり衰えてしまうことがないように、

  われわれを絶えず訓練するためにあるのだ。

 

  日々の煩わしい出来事とか

  人間の交際に見られるけちくさい軋轢とか

  取るにも足らぬ不快な事件とか

  他人の不作法とか、

  口さがないおしゃべりとか


  そのほかいろいろそうしたことに対しては、

  不死身にならねばならない」


   (ショウペンハウエル『幸福について』)


            【山見博康】