「次の点をも考慮に入れておくがよい。即ち、


 緊張を要しないような些細なことに、

 人間はかえってその性格を現すものだが、

 こういうときに、かりそめの行為や

 ちょっとした態度に、他人をいささかも

 顧みない底抜けの利己主義を十分に

 うかがうことができ、後に大きな問題に

 ぶっつかると、事実、その利己主義が、

 仮面はかぶっていても、おのずから

 現れるものだという点である」

(ショウペンハウエル『幸福について』)



「男は、外にでると7人の敵がいる」とは古く

から伝えられてきた言葉ですが、仕事のために

外出する時、人に会う時に、一定の緊張下で、

自らを律しているものです。


上司と話しするの自分と、友人と話している時の

自分とを比べてみましょう。

或いは、大事な顧客と話している自分と一見の

顧客(候補)と応対している自分を、また、尊敬

する先輩と軽蔑している先輩へ接している自分を、

社長から話しかけられた時の自分とトイレ掃除の

おばさんに声をかけられた時の自分を・・・・。


こういった相反する場面で自分がどうやって振る

舞い、どんな態度で発言しているかを、第3の眼

で見、鏡で映してみましょう。


ショウペンハウエルが訓えるように、些細なとこ

ろで人間の本性が見えるものです。従って、身近

な人についても、ふとしたことで尊敬から軽蔑に

変わることもあるのです。

これから近づくべきか迷う相手であれば、或いは

どんな人間かを見届ける必要がある場合には、

その言動を細心の注意力を持って見守り、もし、

そうした機会があれば見逃さないようにすること

です。


私にも何度かそんな場面に出くわしたことがあり

ます。


ずいぶん前のことですが、周りの経営者からも尊

敬されているある経営コンサルタントは、講演の

時に、高名なお坊さんのことをよく引き合いに出

していました。自分も指導を受けて人生の師とし

て敬愛している旨公言していたのです。


私もそのお坊さんにも数回お会いし、少しご指導

もいただいたことがあり、実に素晴らしい敬愛に

値する90歳を超える高僧でした。


ある時、そのコンサルティング会社主催セミナー

で遠路上京され講話されました。私は久しぶりに

そのお姿に接して何か心が豊かになったような気

分でした。話の直後でしたか、たまたまその経営

コンサルタントがつぶやいているのを小耳に挟ん

でしまったのです。


「リキ落ちたな!」。確かにそう言ったのです。

つまり、リキとは力のことです。敬愛するお方、

しかも著名な老師であり高僧です。そのお方の

話が、たとえ高齢のために以前ほどの迫力が無く

なっていたとしても、「リキ落ちたな!」という

表現をするでしょうか? 


しかも、日頃敬愛し、指導も受け、他人にもご高

名な老師と喧伝している人物が、土方仕事などと

同じような表現を使って見下した・・・。


そこに、この人物の本質を、私は見たのです。

それは、私がその人物に抱いていた幻想も消え去

った瞬間でした。


私達は、普段は年齢、社会的地位、役割などに応

じて、それらに相応しい自分であろうと緊張し、

がんばっているものです。日頃1人になれば、

実はぐうたらな自分と判ってはいても、それを

できるだけ悟られないように言動に気を配ってい

るはずです。つまり、自分なりに化粧、偽装をど

こかに施しているのです。女性であれば、明確に

お化粧がそうです。ところが、雨か何かでその

お化粧が崩れたらたちまち風景が一変し、本性が

出るものです。つまり、どんなに表面に手を加え

ようが、ちょっとした仕草や態度、言葉遣いに

いつもその本性を露にしていることを忘れては

なりません。


どんなに隠そうとしても、それは自分が意識し

ないところで露呈するものです。


しかも、それに気付いている誰かの眼がいつで

もどこでも光っていることを忘れてはなりません。


 「肉体を包むだけの衣服の色柄などには、

  私は眼を向けないからである。

  人間の評価には、私は肉眼を信じない。

  私がもっているのは、もっと立派な、

  もっと確実な眼光であって、それによって

  私は真と偽を区別することができる。

  魂の善は魂に見つけさせるがよい」

  (セネカ『幸福な人生について』)

              【山見博康】