「髪が白いとか皺が寄っているといってもその人が
長く生きたと考える理由にはならない。
長く生きたのではなく、長く有ったに過ぎない」
(セネカ『人生の短さについて』)
昨夕、いつもお世話になっている大手出版社Tさんを
訪ねました。このほど『広報・PRの基本』を脱稿し、
一息ついたので、その報告と次のアイデア相談を
兼ねてお会いしたかったからです。
いつもダンディで私が「和製スティーブマックイーン」と
名づける友人、高知出身で坂本竜馬を彷彿とさせる
硬派の志士です。
「山見さん、実は、明日は・・・」と言い難そうでしたので、
「定年が決まった?」というと、
「そうではなく、実は、オレ明日“還暦”、“還暦”なん
です」というのです。
「それは、おめでとうございます! 遂にTさんもそこまで
来ましたか。じゃ、一杯行きましょう」
と同社から近い神宮前の行きつけの小料理屋さんに足
を運んだのです。
私は、1945年生れでこの2月で64歳、Tさんは、
1949年生れで4歳下ですが、誕生日が18日と共通。
つまり「イチかパチか!の人生」でもあるし、「NO.1
か八という末広がりの人生」でもあるのです。
明日は、奥さんと還暦祝いで横浜の高級ホテルで
夕食するというのです。
そんな節目に夫婦だけの時間を過ごすというのは
とても人生における大切なイベントでもあります。
どんな強い生き物でも、生れた瞬間から、着実に
「冥途行き」の列車に乗っています。
人も然り。民族、宗教、地位、貧富これこそ平等の
世界。万人共通です。エジプトの大王は強大な権力
と富と手に入れたが、永遠の生は得ることはできな
かったのです。そこで魂だけでも永遠に残るようにと
ミイラにしてピラミッドに格納したのです。
生れたときからいわば新幹線に乗っていますが、
還暦からは、更に早まり、ロケットに乗って、死の
ゴールへと一直線の日々なのです。
「どんな時間でも自分自身の必要のためだけに
用いる人、毎日毎日を最後の一日と決める人、
このような人は、明日を望むこともないし恐れる
こともない。なぜというに、新しい楽しみのひと時
が何をもたらそうとも、それが何だというのだろ
うか」(セネカ)
しかも、航海に出るや激しい嵐に襲われて、あちら
こちらに押し流され、四方八方から荒れ狂う風向き
の変化に同じ海域をぐるぐる引き回されたのであ
ればそれをもって長く航海したとはいえない。
この人は長く航海したのではなく、長く翻弄された
というものです。
Tさんは
「還暦から何か変えることがあるかな?
どう生きたらいいのかな?」
と訊くので、私は即座に、
「Tさんはこれまで、黒を中心にして服装が多い
イメージ なので、還暦は赤というし、これから
は、黄色やグリーンなどの明るいいファッション
にしたら?」
「それは、一ついいアイデアだ! それを心がけ
よう。自分の気分も変わるでしょうし、区切り
でもあるし」
そこで、私は更に追加したのです。
「Tさん、もう一つ苦しいかも知れませんが、この
人生の節目にぜひとも実行してもらいたいこと
があります」
「え! それ何? 何?」
「今、その手にある“タバコ”を、今日を限りに、
明日から捨てることです。
12時まであと5時間を最後に、永久に別れを
告げる事。決別するのです。
それが、Tさんと奥様、まだ未婚の美しい2人の
娘さん達への親の務めです。
さもなくば、いつ襲うかもしれない肺癌の恐怖に
悩まされ、ロケットから光速に乗り換えているよ
うなもの・・・」
すると、Tさんは、
「実は、家内から30歳になったら、タバコ止めて
ね。と言われて結婚し、それを実行できず、家
では吸ってないのです」と告白。
「奥様を30年間騙してきた罪の償いをする絶好
のチャンス。それなら、まさにちょうどいいじゃ
ないですか。30歳でできなかったが、ちょっと
遅くなっただけ、2倍の年で約束を果たす。
それを明日のお祝の夕食で告白し、決意する
のです」
「え! そんな恐ろしいことを!
これを、こんなおいしいのを止めるの?」
「そうです。一日でも健康で長生きしたければ・・・。
そして、奥様を愛していれば・・・」
渋谷駅で別れる時、しっかり握手・・・。
「今日は忘れられない人なった・・・」
とTさんは微笑んだ。
さあ、今日の夕食はどんなひとときになるでしょ
うか? タバコは着実に寿命を縮めることは明ら
かです。
それが判って、健康と長生きを求めようとする
のは、余りにも、虫が良すぎること。
私達は、自分の生きている日々の重みを確かめ、
味わい、愛し、楽しみ、慈しみの時間を過ごしたい
ものです。
「われわれは短い時間をもっているのではなく、
実はその多くを浪費しているのである。
人生は十分に長く、その全体が有効に
費やされるならば、
最も偉大なことをも完成できるほど
豊富に与えられている。
けれども放蕩や怠惰のなかに消えてなくなるとか、
どんな善いことのためにも使われないならば、
結局最後になって否応なしに気づかされることは、
今まで消え去っているとは思わなかった人生が
最早すでに過ぎ去っていることである」
(セネカ)
【山見博康】