歌
1
夜の微風(そよかぜ)よ、さらにやさしい忍び音に、
かすかに、波の間にささやいてゆけ
いとしいファニの眼はまどろみそめた
その枕べに、やすらかな憩いよおとずれよ。
2
さもなくば、天界の園からうばってきた琴を
おまえの息吹(いぶき)で、うるわしくかき鳴らし、
その調べの余韻で、ファニの耳を魅し、
そのおもいを、愛の夢をもってしずめよ。
3
しかし、夜の微風よ、ひそまって
ただかすかな忍び音でこそ吹け
かぐわしい、西風のつばさにもあれ
黄金(こがね)なすファニの捲毛(まきげ)を
吹きおこすな。
4
夜の微風よ、おまえの息吹のつめたさ、
ああ、雪のように白いこの瞼(まぶた)をゆするな
ただ、こころよいあしたのひかりばかりが、
その底にかくれ閃きをめざませよ。
5
あの唇と蒼(あお)い瞳に、幸いよ宿れ
美しいファニよ、きよらかにねむれ
唇は、なげきにひらかれることなく
瞳は、なみだにめざめることなく。
(バイロン『バイロン詩集』
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1969年4月6日私は慧子と結婚しました。
神戸製鋼に入社して丁度1年後、学生時代
の約束を果したのです。
それから風雪40年の年月が流れ、本日
40周年。日本橋のマンダリンホテル37F
のフレンチレストランにて、二人密かに
ささやかながら無事航海を祝いました。
このコース料理は秀逸です。豪州や欧州に
駐在したり出張したりで、多くの一流レスト
ランで味わう機会がありましたが、ここの
お料理とおもてなしには感激でした。
息子のプレゼントによる楽しみのため、
その味も倍加し、親としての喜びも格別
です。
支配人は日本に17年住むベルギー人。
私たちもドイツ駐在時代訪れたこともある
ブルージュ出身とあって共通の話ができた
こと。さらには、受付の女性が、私達が
住んでいたデュッセルドルフにしかも同時期
に、お父様のお仕事の関係で住んでいたとの
話も盛り上げてくれた要因です。今から15年
位前の話でその女性がまだ5歳くらいの頃
の話です。
最後に支配人から、
Conguratulations for the 40th anniversary
と記されたチョコ板が乗ったショートケーキの
プレゼントという粋な計らいで、心ときめくひと
時でした。
思えば、知りあったのは私が大学3年
の頃ですから、慧子が19歳の頃。
つまり知り合ってからは43年も経過して
いることになります。
2人の息子もちゃんと社会人になって1人立ち。
これから2人で細く長く、できればあと20年、
共に生きることができればありがたいと
思います。
毎年この日がくるように努力することでしょう。
それには日々心身の健康が不可欠です。
何かの目標を持ち、つまり、善を求めて
大志を抱き、大義を為すことを心がけ、
一日一日を大切に生きて行くことを誓います。
「その子二十(はたち)櫛(くし)に流るる黒髪の
おごりの春の美くしきかな」
「いとせめてもゆるがままに燃えしめよ
かくぞ覚ゆる暮れて行く春」
(与謝野晶子『乱れ髪』)