「人間とは精神である。精神とは自己である。

 自己自身との関係である。人間は有限性と

 無限性との、時間的なるものと永遠なるもの

 との、自由と必然との、結合である」


  (キルケゴール『死に至る病』)


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昨夜から執筆中の『広報・PRの基本』の初校

ゲラの校正に没頭しています。本日も5時に

起きて書籍の原型に対峙し、自ら書いた原稿

を1字1字読み、その意味を噛みしめ正しけ

れば通し、おかしければ修正する作業の繰り

返しです。


私の頭は複雑系なので、整理が

行き届かず迷いが多くいつも雑然としていま

す。従って、なかなか結論が出ず何事も遅々

をして進まずであります。


そうしている内に、家内がお昼を運んで来た。

「え?もう昼?」 家内が言った。

「また同じことを言ったね。昨日の夜も」

「え?そうだったの?」・・・

つまり、今の私には「時間」の概念が無いの

です。いや、時間があることを忘れているの

です。

朝から昼まで5-6時間が一瞬の間に過ぎた

のです。


夢中になっている時にはあっと言う

間に過ぎることは、小さな頃から誰しも体感

しています。


特に友達と遊んでいる時に時間の過ぎるの

の早いこと!

そういえば、今の年でもバスケットしている

2時間くらいの速さには楽しい反面、人生が

早く過ぎてもったいない気もするのです。


人生とは時間です。生まれた時から確実に

死に向かう時間が人生なのです。退屈な

時間を過ごせば長く人生を生きられるのか?

余りにも充実した時を過ごせば人生は短く

感じて損するのでしょうか?

私にはわからない。


そうした時にルソーがこう言っています。


「もっとも長生きした人とは、もっとも多くの

 歳月を生きた人ではなくて、もっともよく

 人生を体験した人だ」(『エミール』)

そうか、では単なる長生きではなく、何にでも

挑戦して失敗成功は問わず体験した人が

最も長生きした人と言えるというのか?

何事も実行だ!

失敗の数であれば人の後塵を拝しないだけ

の自信めいたものは秘めています。


これから眠るにしても、眠ったが最後4-5

時間はあっと言う間に過ぎることを覚悟

して寝ることになります。


起きている時間、正気の時間、充実した時間

だけが本当に生きている時間なのです。


充実すればする程

好きなことをすればする程

好きな人と一緒であればある程


人生は早く終わるのです。

ああ、無情、無常、無上。


「時間の速さと競争するには、時間の速度を

用いねばならぬ」(セネカ『人生の短さについて』)

「われらが生きる人生は束の間なるぞ」との

警告を受けて何かを成し遂げなければならない。


なぜなら、老年に達している自分は、こんな

人間にはなりたくないものです。

でも、もう遅いのかも知れません。

だから、若い人たちに警告します。

私の轍を踏まないように。

2千年前の古代ローマに生きた哲学者セネカの

訓えを忠実に守ることを・・・。



「高い年齢に達した老人が、長い間生きていた

 ことを証明する証拠として、年の功以外には

 何も持っていない例がよくある」(セネカ)


        【山見博康】