毎週日曜日夕方6時半から9時近くまでバスケットを楽しむのが生きがいの1つです。横浜青葉区の中川中学校の体育館にバスケ狂が集まります。近くの高校OBが中心で私はそこに参加している形ですが、もともとは私が主宰したものです。ドイツデュッセルドルフから帰国した1997年ドイツから同じ頃帰国した仲間と地域の新聞などで呼びかけて結成したチームですが、今はそのメンバーも転勤などで私だけになったためです。
ここ2週間『広報・PRの基本』(日本実業出版社4月17日発刊予定)執筆で時間がとれず昨日久し振りに行き、大汗を流し爽やかな気分を味わいました。何回か若い人を抜き、タイミングのいいパスアシストもあり、カットインも3回くらいうまくいき、ノーマークで放ったジャンプショットが何本か外れたもののまあまあ満足いくプレーでした。
中学1年13歳からバスケットボールを始めた私は、恩師故丸山喬先生の情熱的指導でその魅力の虜になり、今も若い人とボールを追う“バスケ狂”で先月64歳になったので51年も続けていることになります。今のチームは20-30代中心1-2名40代のようです。60代でちゃんと休まずに一緒にプレーしている人は珍しいものと思います。集まって、すぐ身長順に並び分け、すぐゲームです。時間性はとらず、どっちかが15点とか21点とか決めた得点をとれば終わり!一休みして何度もやるのです。
この方式がみんな平等に万遍無くやれていいのです。
こうしてしつこく年の差もわきまえずにプレーし続けようとするのは、高齢でも軽やかにプレーを楽しまれた先生の姿を追い求めつつ、見えないものに対する勘を、年のせいで鈍らせないためです。
私にとって日々の仕事はバスケの試合。「情報はボール」「世界がコート」そこに「五億人のプレーヤー」がいる。電話や来客・訪問はパスの授受。電話でボール(情報)をキャッチするや、どのプレーヤーにどんなパスをタイミングよく放つかは一瞬の勘。顧客訪問はパスと同じ。いいボールをパスし、うまくシュート(成果)を決めてもらうのです。
だから、電話がなったら「お、いいボールかな?どんなボールだろう」と受話器を取り、話を聞きながら、
「自分がすぐシュート(役に立つ)できるか?」
「誰にパスすればすぐ役に立つか?」誰かが判れば、
「早いパス(すぐ電話)か、それとも遅いパスやループパス(翌日かもっと後か)か?」を考え、それとも
「しばらくドリブルでもして(キープ)時機を待つか?」を判断するのです。
誰かが面会に来てもそう考えるのです。逆に電話したり、訪問したりは自分がボール(情報)を差し上げることです。それも誰にパスするか? いつパスすればもっとも相手がすぐシュート打てるか(役に立つ)?を考えてやります。動かないといいボールは来ないし、動いているプレーヤーにしか絶好のパスは通せません。
チャンスは自ら動くプレーヤーにのみしか生まれない。つまり、チャンスを求めて動いている人間でないと、仕事もできるはずはないのです。そこで、緩急つけた一瞬のスピードで動きパスを受け、シュートしたり、自らチャンスを創り、瞬間に緩急のパスを放ってポイントゲッター(お客様)に得点してもらうアシストプレーを心がけるのです。
自らゲットする力がなければアシストもできない。油断すれば瞬時に抜かれる。そこで、いつも感性=勘を研ぎすまし、一瞬のチャンスに鋭角にカットインする勇気と闘魂を燃やし続けなければ、先んじることはできないのです。
こうした感を養い、チャンスを逃さずアクションを取ることをいつも忘れないためにバスケがやめられないのです。今でも若い人にフェイントモーションをかけ、カットインし、シュートを打とうとするのは、相手が想像する以上の速さで動かないと負けるからです。
日々こんなことを考えながら、仕事に励んでいます。
「かくすればかくなるものと知りながら、
やむにやまれぬ大和魂」 (吉田松陰)
【山見博康】