「毎日、欣然として自分の運命に従いうる者は幸福である」
「毎晩、眠りにつく際に、明朝また目ざめることを喜びうる者は幸福である」
(ヒルティ『幸福論』)
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人のみならず全て生き物が眠りそして目覚めます。昼目ざめている生き物もあるし、夜目ざめている生き物もあります。人間は本来朝起きて夜は眠る動物。
しかし、最近は、その逆も多くなっています。「一日一生」と言われます。朝起きることは生まれること。午前中は少年時代。午後成人し、青年時代を送る。黄昏と共に壮年時代の躍動を終え、その夜の優雅な老年時代を楽しむ。そして、遂に小さな死を迎える。その死は永遠ではない。数時間の短さです。
その小さな死を迎える時、つまり眠りにつく際に、喜んで眠りにつく人、翌朝目覚めが楽しみな人は、きっと幸福に違いありません。
目覚めを喜びうる状態とは:
▽子供の遠足のように、楽しい活動ができる
▽スポーツの試合、アーチストの競演のように競争する大会がある
▽好きな趣味に没頭できる時間がある
▽好きな異性に会える
▽尊敬する人に話ができる機会がある
▽進行中の仕事が充実している
▼何かしら成長・向上の実感がある
▼家族親類の中でうれしいことがありそう(出産、合格・・・)
▼苦労の中に明日はよいことがありそう
▼今日よりも明日は“少しは”よくなりそう
等々
こう列記すると、明日に確実に得られる▽と、得られないかも知れないが期待できる▼に、あるいはその中間的なものになるでしょう。しかし、▽はいいのですが、得られにくいのは、▼です。
つまり、明日目ざめる楽しみや喜びとは、▽を増やし、▼をいかに作り出すかにかかっていそうです。ということは、自らこれらを仕掛けて、自ら獲得するように積極的に努力する必要があります。
すると、その一日、欣然とその運命に従うことができるでしょう。運命に従うとは、自分の意思でまず全力を傾けて実行し、その結果は運命に従うと解釈することです。「人事を尽くして天命を待つ」とありますが、そのような状態は幸せの境地です。
年齢、地位、収入の上下にかかわらず、先に少し良くなる期待がある状態は常に幸福と言え、この状態をいかに増やし、それを日々続けていけるかが、日々の幸福につながります。
大きな幸せと小さな幸せという程度よりも、先行きの楽しみの有る無しが最も大切です。
その小さな期待が、毎晩眠りにつく際の幸福感に導くのです。
「あたかもよくすごした一日が安らかな眠りを与えるように、
よく用いられた一生は安らかな死を与える」
(レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』)
【山見博康】