「おのれを責めて人をせむるな」

         (徳川家康『東照公遺訓』)

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1979年7月、神戸製鋼が中東カタール政府との合弁で推進したカタール製鉄プロジェクトに従事のためドーハに駐在、アドミニストレーション&セールスアクティングマネジャーとして、立ち上げから販売開始まで2年間の任期を終えて帰国。派遣前の鉄鋼輸出部へ戻る願いは叶わず、秘書室広報係長の辞令により、初めての広報業務に無我夢中に取り組んでいた。


ある日の朝、有力紙朝刊を広げるや、神戸製鋼に関する見出しが目に飛び込んできた。重大案件がスクープされたのである。

それは、大型国際プロジェクト受注に関する記事で、まだまだ極秘にしておかなければならないはずの内容であった。出所は不明! そのメディア記者との直近の役員面談でもこの話は出ていないはずだ。

誰が漏らしたのか?

どこから漏れたのかなぁ? 


そう思案している時、上司である畑徹課長(現神鋼電機顧問)が新聞を持って立ち上がり、


「山見君、一緒に!」との声。


私は、あわてて後を追った。

当時の東京本社は八重洲北口呉服橋の交差点にある「鉄鋼ビル」、その2階に役員室や秘書室があり、秘書室広報担当部署も同じフロアに位置していることは当然であった。 役員室までの長い廊下で、畑課長はこう訓えてくれた。


「いいか、こんな場合には、まず“私の責任です。申し訳ありません”というんだ。

 決して言い訳してはいかんぞ」と。


そして、社長室へ。畑課長は、社長が記事のことを切りだす前にも、言葉通り、発言。


私は、その毅然とした態度に感動を覚えた。


「かくあるべし!」


使命感と自負心満々たる中に、どこか泰然端然たる上司の姿を、私は今でも忘れない。


どこからどんな経緯で出た記事にせよ、報道に関する全責任は広報にある。その覚悟で日々の業務遂行に励まなければならないのである。


「すべて私の責任です」


の心構えが持てない人には、達人への道程は険しすぎると言えよう。


たとえ、記事情報が自分とは無関係でも、全責任を負う態度を貫くこと。その自負心をいつでもどこでも発揮する人物は、企業を発展させ、そして救う。そのような人物こそ、いかなる場面においても、典雅なる度量により、卓越した技量でもって、善処することのできる「卓越者」なのであろう。

それには、“自己を弁護しない覚悟”を持つことである。


芥川龍之介は、


「他人を弁護するよりも自己を弁護するのは困難である。疑う者は弁護士を見よ」

(『珠儒の言葉』)


と喝破した。


自己を弁護しない人こそ、実は広報のみならず、いかなる仕事においても肝に銘じておくべき大切な心構えである。


どんなビジネスに携わろうとも、


▼よかれと思って実行したところが、様々な障害によりうまくいかないこと

▼石橋を渡りつつ、慎重な手を打ったつもりが予期せぬハップニングのために挫折、方向転換を余儀なくされること

▼業界の常識である方法つまり王道を歩んではいても、思わぬところからの影響で側道にそれたり、スローダウンせざるを得なくなること


・・・・等々、当初の意図や目論見が外れることは日常茶飯事であろう。 そんな時にも、自己弁護に終始せず「すべて私の責任です」との自負心を抱きつつ、全身全霊を込めて、眼前の仕事に没頭することだ。それは、人のせいにすることなく、困難に敢然と立ち向かい、それを克服できる自信の表れとも言えるのだ。


逆に、その自信なき人は、重要な業務遂行は出来るはずはない。そのような人は、別の部署で力を発揮する方が会社のため、自分のためである。 会社員でなくとも、ベンチャーとして独立した人ならば、よくその心情を理解することになる。


どの部署においても、どんな仕事が目の前にあろうとも、


「会社を代表しているのは自分だ。この顧客には自分が全責任を負う」


との気概を抱いて仕事を進める人は、顧客の厚い信頼を受け、必ずや高い成果をもたらすであろう。

 そのような人物の成長が著しいことは言うまでもない。


「然るべきときに、

然るべきことがらについて、

然るべきひとに対して、

然るべき目的のために、

然るべき仕方において

怒るひとは賞賛される」

       (アリストテレス『二コマコス倫理学』)