「自分がある人は、自分の甘えをチェックでき、
甘さに引きづられる人は自分がない」
(土井健郎 『甘えの構造』)
「甘える」ことは子供の特性であり、また特権である。自我を通す
ために、だだをこねるなどの行為が通用する世界。子供はこれを
許し、甘えさせてくれる大人が大好きだ。逆に、ここを厳しくして、
怒る・叱る大人からは遠ざかる。これは本能といえよう。犬や猫と
同じである。子供と遊ぶ時には、言われるがままにしてやると大い
に喜ぶ。子供に「馬になれ」といわれれば、四つんばいになって背
中に乗せてやると大得意であっち行け、こっち行けを指図する。
「肩車して!」と命令されると「はい、はい」といいなりになる。する
と、さらに喜ぶ。喜び方も尋常ではない。そんな大人を大好きにな
る。
「甘んずる」という言葉があるが、これは本当は甘えられる状態で
はないが、しかし甘えたつもりになることであろうか。 また、その
他の甘えの言葉である「すねる」「ひがむ」「ひねくれる」「うらむ」
などは、甘えられない心理に関係している。
「すねる」は、素直に甘えられないだけであるが、結局すねながら
甘えているともいえる。
「ふてくされる」「やけくそになる」は、「すねる」結果起きる現象で
ある。
「ひがむ」は、自分が不当な取扱いを受けていると曲解することで
あるが、それは自分の当てが外れたことに起因しているのである。
「ひねくれる」も、甘えないで却って相手に背を向けることであるが、
根本的な心の態度はやはり甘えなのである。
このように、相手との関係で自分勝手に甘えていることが、いろい
ろな問題の原因である場合が多いのである。
▽「人を食った態度をとる」
▽「相手をなめている」
▽「相手を呑んでかかる」
なども結局甘えなのである。甘えさせることは相手を喜ばすことに
もなる。度量の広い人でなければ、甘えを許さないものだ。
そこで、人と人とのコミュニケーションを良好なものにしようとすると、
甘えは欠くべからざるものになるが、そこには大いに幅がある。
どのくらいの甘えを許せば、ちょうど良好な人間関係を築けるかを
いつも自問自答しながら、相手への態度を決めるくらいになると望
ましい。
ある日、銀座で書店に立ち寄り、京橋方面の次の訪問先に歩いて
行こうとしたが、急に土砂降りの雨。あるお店の軒下で上がるのを
待っていた。「次の訪問先の予定時間は近づくし、雨はやみそうも
ないし・・・」と思案していたところ、その店の女性店員がわざわざ
出て来て「この傘をどうぞ」という。私は、お断りすることも一瞬考え
たが、傘があればありがたいし、また、せっかくのご厚意を無にす
ることになる、と喜んでお受けした。すると、「これは差し上げます
から返す必要はありません」とのこと。そこで「ありがとうございま
す。御社の名前はきちんと覚えておきますよ」とその好意に感謝し
た。 それからは、近くに来るといつもその店に立ち寄っている。
傘を縁に、店員の厚意がひとりの顧客を増やしたということである。
また、 60歳のあなたが、電車の中で立っていて、席を譲られた
場合を自分がどうするのか? 考えてみよう。
「ありがとう」と素直に受けるか? それとも、「いや結構です」と
断るか?どのような対応をするのか?
自分の体調はどうか? あと幾つの駅で降りるか?相手の性別
や年齢などを一瞬の内に考えて、断るか受けるかを決めることに
なる。断る場合でも、どう言って断れば相手を傷つけずにすませ
られるか?も問題である。 相手が好意をもってしてくれたことに、
素直に甘える気持ちを大切にしよう。なぜなら、相手は受けてくれ
る前提で、“勇気を奮って”好意を申し出たのだ。
何も考えずにそっけなく断る人は、その人の小さな心と自尊心を
痛めていることになる。相手がどんな心情でその好意を提供した
のかを、ちょっと考えてみるのだ。そんな場合には、甘んじて受け
て、「ご親切に。ありがとうございます。助かります」とでもお礼の
言葉をかけると、相手はきっと喜んでくれます。また、その気持ち
を次の時にも持ち続け、席を譲ることに抵抗がなくなることであろ
う。ところが、断られたら、一瞬、周りに何となく味気ない空気が
流れる。その人は腰を持ち上げたのはいいが、断られて座るわけ
にもいかず、とまどうものである。すると、恥ずかしい気持ちが生
まれ「もう、言わないようにしよう」となろう。
そこで、断る場合もよく相手の気持ちを汲んで断りの言葉を選ぶ
ことが大切だ。 人の軽い好意にはどしどし甘えることは、人に
好かれるコツである。途方もないお人よし、甘ちゃん、どんな人
間にでも甘くなれる人、こんな人を好きにならない人はまずいな
い。とことんまで甘くなるということは、やさしいようでむずかしい
からだ。
人を甘えさせることができる人は、それだけ、度量があり、懐が
深く、余猶があるといえる。そんな人が好かれるのは当然だが、
また甘え上手の人間も人に好かれるものである。人に甘えるこ
とのできる人間は、また人を信用する人間だからだ。 いくら親切
にしてもそのまま受け取らないすねた人は人に愛されないもの
だ。図々しくならず、人に迷惑をかけないで、気持ちよく甘えられる
人は、正しく人を見る眼を持っており、賢さも備えているものである。
Today is the first day of the rest of your life.
人生はこれからだ。今日からまたがんばればいい
(早石 修、生化学者)